孤独の体験談

母を亡くして父の酒が止まらなくなった

J子(娘・54歳)

酒の空き缶や空き瓶が増えていく

お父さん、もしかしてアルコール依存症? と思ったのは、5年前のことです。その2年前に母が脳梗塞で亡くなり、がっくり気落ちしたうえに一人暮らしになったので気にかけてはいたのですが、まさか父が酒に溺れるとは思っていませんでした。81歳のときでした。

父は昭和一桁生まれです。戦争で苦労したことをバネにして、事業を始め財を築いた人で、その世代にありがちな亭主関白なところはありましたが、家族を大切にしてくれる家庭人でもありました。子どもの頃、よく家族旅行に行ったのを覚えています。普段、仕事でしかめ面をしていた父も、そのときだけは満面の笑顔で弟や私と一緒に遊んでくれました。

ちょっと厳しくて怖いけれど、やさしくてお洒落な父が、子どもの頃から自慢でした。大人になり私が結婚してからは、そんなに頻繁に会うことはありませんでしたが、実家の近くに住む弟が事業を継いで順調だったし、何の問題もない家庭だと思っていました。けれども今思うと、父は若い頃から酒豪と言われていて、帰ってくるなり玄関で酔いつぶれるようなこともあったので、問題は少しずつ進行していたのでしょう。父が飲みすぎないように母がずっと気を配っていて、その母を失い一人になったことで、歯止めがなくなったのかもしれません。

父は食事や洗濯など日常生活のことは母に頼りきりで何もできない人だったので、家政婦さんかヘルパーさんをお願いしようと何度も提案しました。けれども他人が家の中に入ることを嫌がって受け入れてくれず、私と弟が週に1回ずつ行って面倒を見ることにしました。ところが半年目くらいから、行くたびに酒の空き缶や空き瓶が増えていくのです。朝行くとすでに酔っていることもあり、清潔好きだった父が無精ひげを生やし、作り置きした料理も残っている。弟に相談すると、「母さんを亡くしたんだから仕方ない。そっとしておくのがいい」と言われましたが、何か嫌な予感がしました。そしてある日、玄関を開けるとツンと鼻のつく匂いがあって、慌てて入ってみると父がソファーで失禁していたのです。けれどもそれはまだ序の口でした。

「もう飲まない。飲みたくない」と言ったのに、なぜ飲むの?

すっかり気弱になった父は、頻繁に酔って電話をしてくるようになりました。その都度、父が落ち着くまで相手をしていましたが、切ろうとすると怒鳴るのです。翌日行くと、やっぱり失禁していて、その処理や部屋の後片付けをして言い争いになりました。「身体も心配だし、お酒を控えようよ」と頼むと、そのときは素直に「そうだな」と言って、確かに少し控えるのですが、すぐに逆戻りしてしまいます。

父の状態は急激に悪くなっていきました。家に酒があると飲んでしまうと思い、行くたびに捨てたり持ち帰ったりしても、無駄なのです。おまけに飲酒運転をして買いに行っていることがわかり、すぐに車の鍵を取り上げました。「事故を起こしたらどうするの!」と叱りつけ、高齢を理由に免許を返上させて安心したのも束の間。今度は、ふらふらとコンビニに酒を買いに行き、転んでケガ。「転んだ」「動けない」と毎日のように連絡が来て、その度に父の元へ行くので私は自分の仕事もままならなくなりました。このままでは私の身体が持たないと思い、とりあえず父がショートステイできる施設を探し、何度かステイしてもらいました。けれども結局は、また飲んで同じことの繰り返しになってしまうのです。

さらに悪いことに、家庭や仕事を抱えながら父の対応に奔走し、疲弊した私は居眠り運転で自損事故を起こしてしまいました。幸いにも少し車が傷ついただけで私も大丈夫だったのですが、もう私の手には負えないと思いました。

あんなにしっかりしていて穏やかだった父が、なぜこんなことになってしまったのか。酔っていびきをかいて寝ている父を見ながら、涙が出てきました。母がいなくてさみしいなら、私が一緒に住めばいいのか。でも、私にも家庭や仕事がある。飲まない時間を作るために、父が昔好きだったジム通いを勧めてみたり、デイケアを勧めてみたり、思いつくことは何でもやってみました。言うことをきかない父に怒りを感じながらも、自分の都合を優先して人任せにする私は娘として失格なのではないか、冷たい人間なのではないかと自分を責めました。

私の転機になったのは、ある友人に「もしかしてアルコール依存症なのでは?」と言われたことです。え? と思いました。私の中のアルコール依存症のイメージは、手が震えていたり、「だらしなく酔って問題を起こす人」で、父には当てはまらないと思ったのです。客観的に見れば、父はまさにそんな状態になっていたにも関わらず、認めたくなかったんだと思います。けれども、病気でもなければ説明がつかないという思いもあったのです。

インターネットで「アルコール依存症」を検索してみると、父に当てはまる点がいくつかありました。さらに病院を検索すると、幸いにもそう遠くないところに専門病院があったのです。ここへ行けば何とかなるかもしれないと思いました。けれども「一度病院に行ってみよう」と勧めても、プライドの高い父は断固として「必要ない」と受け入れません。

そんな中、ある日、実家へ行くと父が廊下で倒れていました。名前を呼んでも意識がもうろうとしていて、このまま死んでしまうのではないかと思いました。急いで救急車を呼び、病院でただの脱水症状と診断されたときはホッとしました。医師に「先生から、父に酒は飲まないように言ってください」と頼むと快く承知してくれ、父も素直に納得。「もう酒は飲まない。飲みたくもない」と言うので、これをきっかけに何とかなるかもしれないと期待しました。

父の退院後1週間、私は実家に泊まりました。その間、父は一滴も酒を飲まず、欲しがりもしませんでした。ご飯もたくさん食べてくれ、「やっぱりお母さんの味に似てるな」と言って、昔話をいろいろしてくれました。父とあんなに密に話したのは、もしかしたら初めてかもしれません。いつもの穏やかな父に完全に戻った気がしました。ところが私がいったん家に戻ると、また飲んでしまったのです。頭を抱えていたとき、近くに断酒会があるのを知りました。

親族会議を開いて専門病院への入院を勧める

断酒会に連絡すると、「まずは娘さんが一度ぜひ例会に来てください」と言われ、行ってみました。実は正直、胡散臭い人たちの集まりではないかと思う気持ちもあったのですが、そんな疑念は一瞬で吹き飛びました。会場で迎えてくれたのは、どこから見ても「普通」の人たちだったのです。けれども体験談を聞くと、酒ですごいことをしてきている。こういう人たちとなら、プライドの高い父も話すのではないかと希望を感じました。しかも会長さんに相談したら、家まで来て父と話してくれると言ってくれたのです。

断酒会の家族の人にもらったアドバイス通り、父が穏やかなときを狙い、「身体のことが心配だから、一度断酒会の人と会ってみては? 行ってみたけど、すごく普通の人たちだったよ」と勧めました。父は意外にも、すんなり承諾して驚きました。

その日は前日の朝からから父の家に行って、夜は弟にも来てもらい、飲まないよう必死に父の気を反らせました。会長さんとの会合は、始終、和やかに終わり、父も「一度、断酒会に顔を出してみますか」と答えたのです。

翌日、例会があり、父を会場まで車で送っていきました。私がいると話ができないだろうと思い、終わるまで外で待っていました。戻ってきた父は言葉少なでしたが、その顔は心なしか晴れ晴れとしていて、うまくいくのではないかと期待しました。

ところが結局、父は3回で例会に行くのをやめてしまい、また元の状態に戻ってしまいました。専門病院に入院することになったのは、それからすぐでした。親族会議を開き、父に入院してもらうため、孫や姪・甥も含め気持ちを伝えることにしたのです。このままでは身体が心配なこと、前のように元気になって、長生きして欲しいこと、そのために入院してほしいこと……。思えば母が亡くなって以来、こんなに親族が集まるのは初めてのことでした。そのことだけでも、父は嬉しかったのかもしれません。目に涙をため「ありがとう」と言って、入院を承諾してくれたのです。

酒をやめ、父は穏やかな人に戻った

父の専門病院入院は、思わぬ方向へと進んでいきました。医師から認知の問題も出てきていると指摘されたのです。アルコールは脳の萎縮を早めるので、高齢の場合、アルコール性認知症が進むことがある。ただし一時的なものかもしれないので、断酒を継続してみないと何とも言えない、と。確かに物忘れがあったり受け答えがおかしなときがありましたが、私は酔っているからだとばかり思っていたのです。

入院中の父は、私がよく知っていた穏やかな父でした。ただ、ボーっとしていることもあって、昔のような精鋭さはなくなっていました。アルコールをやめれば元に戻ると思っていたのに、そんな生易しいものじゃないのかと不安に怯えつつ、認めたくなくて、いろんな質問をしました。きちんと答えてくれるときもあったけれど、やはり確かにおかしなときもあって、だんだんと私も頭を切り替えないといけないと考えるようになっていきました。

医師やソーシャルワーカーと退院後の生活について話したとき、「このままではご家族の負担も大きいし、お父様が安定した生活を送るためにも、訪問看護を利用するか施設への入所を検討してはどうか」と提案されました。弟とも話し合い、今後のことも考え、思いきって施設に入所してもらおうと決めました。

そうと決まったら、仕事の合間をぬって、施設探しに奔走しました。認知の問題が進んでいるとはいえ、父は体も回復してきたし、身の回りのことも一応一人でできます。受け入れ先が見つからなくて苦労しました。ラッキーだったのは、飲酒問題に理解のあるケアマネジャーさんと知り合えたことです。退院時には間に合いませんでしたが、民間の介護つき老人ホームを紹介してくれ、とんとん拍子で入居することができたのです。最初「嫌だ」といって受け入れなかった父も、最後は「引き際は心得ている。これ以上、おまえたちに面倒はかけない」と言ってくれました。そのときの父の表情は以前の元気だった父と同じで、胸が締め付けられる思いでした。

あれから2年が経ちます。月2回、父に会いに行っています。父の認知の問題は、緩やかに進んでいますが、気の合う仲間ができて楽しんでいるようでホッとしています。

※写真は本文とは関係ありません