孤独の体験談

断酒会につながり、初めて本音を話せる場所ができた

Y・T(男性・45歳・公共機関勤務)

なぜ検知器が鳴った?

そろそろ酒を控えなきゃ。これでは朝、検知器を鳴らしてしまう……。そんなことを考えるようになったのは、10年ほど前からです。私は公共機関の運転手をしています。飲酒運転に対する世論がますます厳しくなる中、検知器だけは鳴らしてはいけないという思いが常にありました。

運転手の勤務はシフト制なので、朝番のときは早朝に出勤して午後4時には帰宅します。その時間がたぶん普通に人にとっての6時とか7時の感覚だと思います。妻が仕事から帰ってくる頃にはすっかり出来上がっていて、会話もないまま8時には翌日のため布団に入るという毎日。朝、二日酔いになることはあまりなかったのですが、酒が残っている感覚はありました。

だったら酒をやめればいい。普通はそう考えるのでしょう。でも、酒をやめるなど考えられませんでした。ない知恵を絞り、思いついたのが自分で検知器を購入することです。呼気濃度が0.00だったら出勤、0.05以上だったらお腹が痛いと言って職場を休むというマイルールを決め、毎日のように自分で検知するようになりました。

ところが3年ほど前、自宅では0.00だったのに、職場の検知器で引っかかりました。呼気濃度が低かったこと、1回目ということで処分はありませんでしたが、上司から指導が入りました。あのときの罪悪感が入り混じった複雑な気持ちを思うと今も苦しいです。私が酒好きなのは周知のことなので、みんなに「やっぱりな」「とうとう捕まった」と見られていると思うと恥ずかしく、何より基本的なルールさえ守れない自分が情けなくてたまりませんでした。

職場で孤立し飲酒が止まらず、2回目の検知反応

職場では、ばつの悪さもあって孤立しました。噂話が多い職場だったので、どこで何を言われているのかと思うと一瞬たりとも気が抜けませんでした。私はもともと人づきあいがあまり得意ではありません。高校も卒業していないし、就職したのも結婚をしてからで、いわゆる「普通の会社員」の感覚を学んでいません。勢いがあるので、若いときは上司に公私でかわいがられましたが、年を重ねるごとに同僚とのコミュニケーションも難しさを感じるようになっていました。年相応とは、どういうものか? どこまで人に合わせればいいのか? そんな中、こんなことになってしまったのです。

面と向かって言われなくても、「○○さんがこんなこと言ってたよ」と間接的に自分への批判を聞くと、心に刺さりました。気にしないふりをして気持ちを溜め込み、それが飲む理由づけにもなりました。

勤務が終わると張りつめていた緊張が解けて、コップ1杯でいいから飲みたくなりました。1杯飲んだら後は同じこと。罪悪感も吹っ飛んで2杯、3杯といってしまいます。4ℓの焼酎が3日でなくなるペースで、病院へ行けばアルコール依存症と言われる飲み方だったと思います。しかし私の中のアル中のイメージは、公園で朝から一升瓶を抱えて飲んでいる人で、自分は違う、アルコール依存症なんて別世界のことだと自分に言い聞かせていました。俺はただの酒好きだ、普通のサラリーマンだってこのくらい飲む、俺が依存症だったら、世の中アル中だらけだ、と。

そうなってからの酒に、もう気持ちよさはありませんでした。飲めば飲むほど気持ちがネガティブになるのです。誰も俺のことをわかってくれないと思う。家庭でも、子ども達は自立し始めていたし、妻との会話もない。あまり覚えていないのですが、あの頃、私は酔うといろんな人に電話していたようです。「元気?」と言ってかけて、愚痴を言っていたそうです。淋しくてかけたのでしょうが、相手にしてみればいい迷惑です。着信拒否が増えていきました。そんな自分が情けなくて、なぜここまで落ちぶれてしまったのかと泣きながら飲む有様でした。

連休に連続飲酒になったり、かと思えば休みなのに冷蔵庫で氷を入れた瞬間に「いけない!今日仕事だ」と思って慌てたり。今日がいつなのか、何をしなければいけないのかもわからなくなり、ついに再び検知器を鳴らしました。1回目のときから半年後のことでした。

職場からの受診勧奨

上司と保健師との面接で「半年に2度検知器を鳴らす人はそういない。依存症ではないか?」と指摘され、「強制ではないが、専門病院の診察を1度受けてくれ」と言われ焦りました。今思うとおかしな話ですが、自分がどの程度のひどさなのか、こんなことを言われるのは自分だけなのか、確認せずにはいられませんでした。

すると、「検知器に引っかかった人には同じことを言っている」と言われました。1回目のときは何も言われなかったのにおかしいと思いつつ、ここで断わったらまずいことになるという一心で、「わかりました。行きます」と答えました。「行くと言った職員はあなたが初めてです」と言われ、しまった!答えを間違えたと思いました。しかし今さら撤回することもできず、入院になったとしても2週間くらいだと言われたので、それだったら休める範囲だろうとあきらめました。

案の定、アルコール依存症との診断でした。入院の前日、強烈な飲酒欲求に襲われたことは忘れられません。もしかしたらもう一生飲めないかもしれないから、今飲んでおかなければと強迫的な気持ちに襲われたのです。当日も朝10時の予約なのに朝から飲んでしまい、結局電話をして午後に変えてもらいました。電話を切った後にまた飲んで、飲酒運転で病院へ。到着間近でコンビニに寄り、そこでまたビールと焼酎を買って飲みました。受診時に「最後に飲んだのはいつですか?」と聞かれ「今飲んできました」と答えました。所持品検査が終わってベッドに腰を下ろしたとき、初めて少しホッとしました。来るところまできてしまったと思いつつ、ここならば助けてもらえるだろうと思えたからです。これでやっとこの飲み方から解放される……。自分では、何度節酒を試みてもダメだったのです。

それから私は2ヵ月半の入院生活を過ごすことになります。「2週間のはずなのになぜ3ヵ月も入院しなきゃいけないのか」と労働組合に苦情の電話を入れたり、他の入院患者とケンカをしたりといろいろなことがありました。心を開ける看護師長との出合いがあったから、続けられたのだと思います。

思えばそれまで、私は誰かと腹を割って話した経験があまりありませんでした。いつからそうなのか、なぜそうなのかはわかりません。人や周囲に合わせてしまい、本音を語れないのです。ただ、それが自分の持つ生きづらさであることはわかりました。

こんなふうに、少しずつ自分が見えてきた頃、退院となりました。ところが当然すぐ働けるものと思っていたのに、医師に「復職までは1年見るのが普通です」と言われ、ショックと同時に不安に襲われました。職場にもっと穴を開けてしまうという負い目から来る不安なのか、1年も間が空いたらまた飲んでしまうのではないかという不安なのかわかりません。漠然とした、でも強烈な「大丈夫だろうか」という不安に襲われたのです。これが、断酒会に通うきっかけになりました。

騙されたと思って断酒会を回った1年

私が求めていたのは、自分と同年代で、同じように休職している人の話でした。断酒会は年齢層が高く見えたし、しょせん傷の舐めあいで、そんなもので酒が止まるわけがないと思っていました。しかし何もせずただ1年休むなど考えられなかったし、断酒会の人に言われた「行動の量が断酒の質を決める」という言葉も気になりました。そこで騙されたと思って、あちこちの例会に参加してみることにしたのです。

不思議なもので、行けば行ったで興味深い話をたくさん聞けることに気づきました。0か100かの白黒思考だったり、本音を語れないところだったり、自分が抱えている生きづらさを、多くの人が抱えているとわかったのです。何も言わなくても、同じ気持ちをわかってくれる人がいることが、どれほど心強いか知りました。

あちこちの例会や研修会に参加するうち、まさに求めていた自分と同じ立場の人と出会うこともできました。全国にはきっと他にもいると思うので、そういう人たちと例会を開けたらいいねという話をしました。

アルコール依存症になどになりたくなかったけれど、酒をやめた今、私はシラフで生き方を変えるチャンスをもらっているのだと思います。飲んでいた頃と何が違うか? どう生きるかについて考えたくなったし、仮面を被らず本音を話せる自分の居場所ができました。こんなふうに人とつながることができたのは、大人になってから初めてかもしれません。ここにずっとつながっていたら、何かでつまずいても何とかなるさと思えるのでしょう。生きづらさは変わらなくても、楽に生きていくことはできるのです。もうすぐ断酒1年が経ちます。やがて復職していくことになると思いますが、焦らずやっていこうと思います。

※写真は本文とは関係ありません