回復のカギ

お酒をやめたら仕事に支障が出ると思っていたが、そもそもやりたい仕事ではなかったと気づいた。

Y・A 断酒7年(男性・51歳・農業)

期待に応えて、評価されたい

上司から「酒を2、3年やめろ。そうしないとクビだ」と言われたのは、39歳のときでした。私はウエディング関係の仕事をしていました。自分では適職だと思っていたし、業績もあげていたのですが、トラブルになることが増えていたうえ、同僚でもある妻が上司に相談してこの断酒宣告となったのです。

お酒は大好きだったし、飲み屋との関わりは仕事でも大いに活かされていました。けれども、上司にそう言われたら、やめないわけにはいきません。何とかなるだろうと思い、お酒を断ちました。ところが、それからすぐ、体に異変が起きてきたのです。汗が出て、だるいのにそわそわする。今となればそれは離脱症状だとわかるのですが、当時はそんなことも知らず、どうしてしまったんだと不安になりました。

クリニックへ行くと、いつからこの症状が出たのか、何か思い当たる要因や変化はないかなど、いろいろ質問されました。当時、私は再婚して子どもが生まれたばかりで、確かに私生活に変化があったし、仕事でも新規事業を任されプレッシャーを感じていました。しかしそのことを医師に話しても、「何かもっと、日常生活で変わったことはないですか?」としつこく聞かれるのです。仕方ないので「酒をやめました」と伝えると、医師は「それだ!」と納得し、「問題はお酒だ」と言われました。「いや、それは関係なくて、再婚や仕事で……」と言っても聞き入れてもらえず、こんな医者のところに二度と来るもんかと憤慨して帰りました。

次に行ったクリニックでも、「あなたはもう限界なので、お酒をやめてください」と言われました。「そんなことはない」と弁明すると、「私の話が聴けないなら、他の病院を紹介します」と言われ、精神科の名前を告げられました。結局、「何で俺がアル中なんですか?精神科なんか行きません」と捨て台詞を吐いて診察室を後にしました。

お酒なんか、1人でやめられる!その勢いで断酒が続き、7ヵ月くらいは一滴も飲みませんでした。しかし再び手を出してしまい、仕事で金銭トラブルを起こしてしまいました。上司の前で「2度とお酒でトラブルは起こしません」と土下座し、何とかクビはつながりましたが、「お前の飲み方は病的だ。次は許さないぞ」と釘を刺されました。

カミングアウトして、飲酒につながる人間関係を絶つ

どうしようもなくなり、休職し、専門病院に入院したのは43歳のときです。その頃には自分でも「俺はアル中だ」と自覚していましたが、依存症と診断されたときはやはりショックでした。しかし、それよりも衝撃だったのは、「お酒に対するコントロールを失っているので、もう2度とお酒は飲めない」という事実を知らされたことです。

私の仕事に、飲み屋との関係は不可欠でした。飲み代にいくら使ったかわかりません。高収入だったにも関わらず借金をしている状態でしたし、夜に飲み歩き派手に振舞うことで、ウエディング市場の動向をつかむことができたし、店の人から結婚するカップルを紹介もしてもらえました。一時期、お酒をやめていたとき、「その方がいい」と言ってくれた人もいましたが、多くは「ちょっとだけならいいじゃないか」という反応で、飲まないことはこの仕事にとってハンデだと考えていました。

医師からは「飲み友だちとの関係を切らないと、断酒はできない」と言われ、完全断酒をしてこの人間関係を切ってしまったら、仕事に支障が出るだけでなく、これから誰とどうやって過ごせばいいのかと、悩みました。そんな折、上司からショックなことを聞かされました。「仕事復帰のことで悩んでいるのだろうが、事態はお前が考えているような状態じゃない。周りは敵だぞ。まだ43歳なのだから、他の生き方を考えた方がいいのではないか」と。暗に退職を勧められたわけです。

これまで会社に貢献したきたのに、こんな形で切り捨てられるのがショックでした。入院中に離婚も成立しており、仕事までなくなったら、どう生きればいいのか。しかし結果的に、それが自分を見つめ直す機会になり、断酒の決意に結びついていったのです。

今になって振り返ると、私はすべてに疲れ果てていたのだと思います。家庭も仕事もなくして丸裸になり、失うものは、もう何もないと受け入れてから、「とにかく、一年は何も考えず断酒して、仕事のことも頭から切り離そう」と考えるようになっていました。

ただ、どうやって仕事や飲み屋との関係を終わりにしたらいいかわからない。そこで、入院中にもらったアルコール依存症に関する資料をコピーして、あちこちに配って回りました。会社の社長に手渡しして、退職願いを出し、仕事でお世話になった人たちに挨拶に行き、行きつけの飲み屋にも資料を持って行って、残っていたボトルを処分してもらいました。

その中で、1人だけ、「断酒会に通ってみようと思っています」と言った私に「通え」と勧めてくれた人がいます。コンサルタントをしている人で、その人もお酒で仕事をやめた経験があったのです。3年くらい経ったとき、再会する機会があり、私が断酒を続けていることをとても喜んでくれました。

新しい生きがいとの出会い

それからも、会う人、会う人にアルコール依存症であることや断酒会に通っていることを告げていきました。その結果、当然と言えば当然ですが、今、私の周りには、依存症のことを理解してくれる人しかいません。そうでない人とは、自然と疎遠になっていきました。利害関係だけのつきあいがなくなって、本当の友人だけが残ったのです。

仕事については、一念発起して農業を始めました。それまでしていたウエディング産業が、本当に自分がやりたかった仕事かと考えたら、そうではないと思えたからです。

周囲には「逆にうらやましい」「ロマンだ」と言われました。しかし実際やってみると、1人でやるのはとても大変で、自分の力のなさをつくづく感じました。実は農業研修でお世話になったコンサルタントに、「このままだとお酒を飲んでいたときと同じで借金を作るぞ」と言われ、いったん農業をやめ、前の会社に戻ったこともあります。けれども、一年やってみて、やはりここは自分の居場所ではないと感じました。新しい上司が「お前の良さが発揮できる他の場所でやり直せ」と後押ししてくれたこともあり、再び農業に戻りました。

まだまだ安定した生活には程遠いですが、いろんな人の助けを借りながら、何とかやっています。お酒をやめてよかったと思う一番のことは、こうして困ったときに相談をしたり、助けてくれる人が増えたことです。いつも的確な意見をくれ、人間関係の質が確実に変わった。お酒で失ったものは大きくても、過去には得られなかった手応えを今、感じている。人生は不思議です。

回復のカギ
●「新しい生き方を見つけた方がいい」という上司の言葉
●飲み友だちと縁を切ったこと
●それでも断酒を喜んでくれた人がいたこと

※写真は本文とは関係ありません

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