回復のカギ

彼に言われた「何度でもやり直せる。もう1度やり直そう」という言葉を信じて。

H・A 断酒1年(女性・21歳・施設通所)

孤独の中で、階段を転げ落ちる

私がアルコールにハマッたのは、20歳のときにパニック障害になってからです。働けなくなり、劣等感から逃れようと酒を飲むようになりました。私にとってアルコールは、一瞬でもストレスから逃れられる即効性のある精神安定剤だったのです。

そもそも始まりは、成人式で久しぶりに地元の同級生たちに会ったことでした。みんなそれぞれの道を歩んでいて、きらきら輝いて見えました。一方、私はといえば、自活はしているけれど、高校中退のフリーター。職場はパチンコ屋で、将来の展望もなく、そんな自分が急に恥ずかしくなりました。

私はちゃんとした社会人になれるのか? そう考えたら猛烈な焦りに襲われました。きちんとしたところで働こうと決め、百貨店に契約社員として就職しましたが、もともと人見知りをするところがあるので、緊張とストレスとの戦いでした。そうして1ヵ月目に些細なミスを起こし、上の人から冷たい言葉で注意されたとき、気力が崩れ落ちました。「やっぱり私はダメな人間なんだ」と。それからです。突然、電車に乗れなくなりました。

吐き気、めまい、発汗……。とても電車に乗っていられず、途中で降りてバスでアパートへ帰ってきました。スーパーに行っても同じような状態になり、自分が死ぬのではないかという恐怖に襲われました。結局、仕事はそのまま辞めてしまい、家から出られなくなってしまったのです。

社会から切り離されてしまった孤独感も、飲めば少しまぎれる。けれども働かずそんなことをしている自分がまた恥ずかしい。でも、動くことができない……。自分に何が起きているのか知りたくて、インターネットで必死に検索すると、当てはまるのはパニック障害のようでした。私なんかが病院へ行っていいのだろうか? これは病院へ行くほどの症状なのか? 弱くてだらしないだけでは? さんざん迷いましたが、このままではダメになると思い、意を決して近くの雰囲気のよさそうなクリニックを予約しました。

誰にも内緒で、こっそり行ってみました。そこでパニック障害と診断された後、医師に「γ-GTPが高く、アルコール依存の傾向がある。お酒をやめなさい」と言われたときは、信じられない気持ちでした。精神科へ行くような事態になっていることだけでも恥ずかしいのに、まさか「アル中」と言われるなんて……! 目の前が真っ暗になりました。

孤独の中で人が落ちていくのは、意外と簡単なことなのかもしれません。それから1年ほどは、波乱の日々でした。病院で処方された薬とアルコールを一緒に飲み、自傷行為をし、心配してくれる彼氏に暴言を吐き……。酒代が足りなくなると、夜の街にくり出すようになりました。

酒の力を借りれば、嫌悪感も少なくなります。身近な彼氏には自分の病気のことを相談できなくても、飲み屋で出会った人にならもう二度と顔を合わすことがないから話すことができます。相手もその瞬間だけは、やさしくしてくれる。すると一時でも孤独と劣等感が和らぐような気がしたのです。

結局、彼氏とは上手くいかず、別れることになりました。生活のためにキャバクラで働き始め、日銭を稼いで飲むことに精一杯で、さみしくて生きている感覚もありませんでした。そんなとき、10代のときに働いていた職場の先輩が偶然連絡をくれました。それが結果的に私の転機になりました。

一人でがんばろうとしてた

先輩に近況を聞かれたとき、笑い話のような調子で「精神的につらい」ともらしたことがきっかけで、いろいろ話をするようになって、つきあい始めました。飲んだ勢いで自暴自棄になっていたことを話すと、すごく怒られました。精神科に通っていることを隠せなくなり、思い切って言うと、さらっと受け入れてくれたどころか「医者に酒をやめろと言われているのに、なぜ向き合おうとしないのか」と言われました。そのとき、初めて「助けてほしい」と言えたのです。

彼に「人に甘えることと、頼ることは違う。人に頼ることは大事なんだよ。今は頼ればいいじゃん」と言われたことは、とても新鮮でした。私には姉が2人いますが、実家が母子家庭で経済的に苦しかったためみんな早くから自活しており、「誰かに頼る」という発想自体がなかったからです。何でも自分一人で解決できなければいけないと思ってました。

彼の言葉に後押しされ、2人の姉に相談してみたら、「そんなことをしないで私たちを頼ってくれればよかったのに。あんたには未来があるんだから」と言われ、いろいろ話を聞いてくれました。アルコールをやめ、彼と一緒に暮らすことになり、仕事についても以前の職場にパニック障害のことを話したうえでアルバイトとして雇ってもらえ、初めて希望を感じました。ところが、バイト先で再びパニック発作が出てしまったのです。

それからは家を出るたびにパニック発作が起きて、以前と同じような状態に逆戻り。そんな自分が悔しくてたまりませんでした。結局、彼の目を盗んでアルコールを飲むようになり、喧嘩が絶えなくなりました。拒食症状も出て、1ヵ月で10キロ痩せ、自傷行為も再発しました。

これ以上、彼に迷惑はかけられないと思い、一方的に別れを告げました。酒の力を借りて風俗で働き始め、結局こうやって生きていくしかないかのかと自分に絶望しました。そんな中、あるとき気づいたら、病院のICUにいました。処方薬とアルコールを飲んで、部屋で倒れているところを彼が見つけ、救急車を呼んでくれたのです。

心配した友だちからの手紙を持って、母も病院にきてくれました。「ごめんなさい」と泣きながらあやまる私を誰一人責めず、胸が痛みました。それでも彼に「病気と向き合いたいなら、そんなことをしてちゃダメだ。何度でもやり直せるから、もう1度やり直そう」と言われ、医師に「これからどうしたいですか?」と言われたとき、いろいろな人の顔が浮かんできて、心の底から「お酒をやめたいです」という言葉が出てきました。

入院生活で人生の方向が変わった

退院後、クリニックへ行きすべてを話すと、アルコールの専門治療を勧められました。専門病院へ行き、入院内容を見たときは、正直どうしようか悩みました。私と同年代の入院患者は一人もいないと言われたし、お金のことも心配でした。けれども姉に「心配しなくていいから入院しておいで。私たちも全力でサポートするから」と言われ、決めました。アルコールをやめる自信はまったくありませんでしたが、これだけ助けてもらったからには私も変わらなきゃという思いがあったし、何より安全なところで休みたい一心でした。

入院生活は、ある意味まったく想定外の展開になりました。自分の親より年上の人たちに囲まれ、最初はこれからいったいどうなるんだろうという不安でいっぱいだったのに、プログラムに取り組む中で徐々に前向きになっていく自分がいたからです。

日々の日記や内観療法、作業療法など、さまざまなプログラムがありました。中でもよかったのは内観療法で、出されるお題について書いたものを、女性の主治医に見てもらうのが楽しみにさえなりました。飲酒歴や生育歴を振り返り、その中で何をしてきたか、どう感じてきたか……。一つ一つ確認していく中で、わかったことがあります。つらい状況の中でも、私は懸命に生き延びてきたのだと。

入院仲間との会話では、何を話しても誰も偏見の目で見ません。むしろ私の話に耳を傾けてくれる人ばかりでうれしかったです。「私にも同じことがあったよ」「まだ若いから大丈夫だよ」と言われると、確かにそうかもしれないと思えました。一緒にカラオケを楽しんだり、卓球に熱中したり。普通なら、大人の生活の中ではなかなか体験できないようなことをみんな一生懸命やっている。まるで合宿みたいな楽しさを感じました。

パニック発作の方も、少しずつよくなりました。院内例会でマイクを使って自分の体験を話すことになったときは、緊張から発作の症状が出そうになりましたが、主治医に「逆に治療にもなるからやってみたら」と言われ、思い切ってやってみたら大丈夫でした。地域の断酒会に参加するプログラムでは、みんなも看護師さんもいるから大丈夫だと自分に言い聞かせ、電車に乗ったらまったく平気でうれしくなりました。

こういうところに入院しなければ出会えなかった人たちと共に生活し、人と人のつながりを感じた3ヵ月でした。20年生きてきた中で、こんなに意味のある充実した時間はありませんでした。初めての外泊では、彼と一緒に近所の断酒会例会に参加。「思っていたよりいいところじゃん、みんなやさしそうだし」と彼もうれしそうでした。

といっても、退院にあたり不安だったのは、今後の生活をどうするかでした。主治医には、「最初の1年は働かず、お金も持たないこと」と言われました。彼にも「そう言われたら、その通りにしないと」と言われ、生活保護という手段があることを知りましたが、どうしても抵抗があったのです。けれども姉にもそうした方がいいと勧められ、思い切って福祉事務所に相談して生活保護を受けることにしました。

退院後は断酒会に入会し、今は近所の作業所に通っています。偶然なのですが、アパートと断酒会例会場の間に断酒会の作業所があったのです。入院のときと同じく、自分より年齢が上の人ばかりで最初はやっていけるか不安でしたが、同年代のワーカーさんがいたためとっかかりができました。少しずつ出会いが広がり、何とかやっていけるかなという気持ちです。

とにかく今は自分にできることをしっかりやって、土台を作ってから社会復帰を目指します。もう飲めないことについては、自覚が持ててきましたが、やっぱり酒のない生活は逃げ場がないので大変です。中でも心がかき乱されたのは、FacebookやツイッターなどのSNSです。同年代の友だちがみんなでバーベキューをしたり飲んでいる写真がアップされるたび、うらやましくてたまりませんでした。飲まずに思い留まることができたのは、入院仲間や断酒会の仲間の顔が浮かんできたからです。

例会で「つらいんです。酒のない生活が不安なんです」と泣きながら話したこともあります。みんなそれをすくい取った体験談をしてくれているのがわかりました。私と同じような体験を持つ仲間に「安心できる居場所を作りなさい」と言われ、だんだん落ち着いていったような気がします。

断酒会には、女性だけの集まり「アメシスト」も全国にあります。これからはアメシストにも行ってみよう。何が何でも例会に参加し続けるのではなく、自分から活用すればいいんだと思えたら、少し心に余裕が出てきました。徐々に人の話が耳に入ってくるようになり、人の話を聞く大切さもわかってきました。

体と心が少しずつ回復してきて、新しい自分ができてきているのを感じます。飲めないことをいやだなと思う気持ちはまだあるけれど、別に飲めなくても楽しいことあるじゃん! と思います。同年代の友だちからの誘いが減ってさみしくても、その分、新しいつながりがある。1回どん底まで落ちた分、後はゆっくり這い上がるだけです。今までの経験がなければ会えない人たちと、これからも出会い続けていきたいと思います。

回復のカギ
●「何度でもやり直せる」と言われたこと
●専門病院の入院プログラムを通し希望を感じられたこと
●断酒会例会と作業所へ通うようにしたこと

※写真は本文とは関係ありません