回復のカギ

時間割の決まったデイケアに通う中で、飲まない時間の過ごし方がわかった。

K 断酒8年(男性・59歳・デイケア通所)

酒を飲むと、すらすらと話せる

5年前、地元の専門病院へ行き、デイケアに通い始めたときのことです。こんなにたくさんアルコール依存症の人がいるんだ!と驚き、その人数の多さに圧倒されました。それまでも東京で5年間デイケアに通っていましたが、規模も雰囲気も全然違ったのです。これじゃあちょっと飲んで行けないな……そう思ったことを覚えています。

そもそも私が酒を飲むようになったのは、20歳過ぎてからでした。酒乱の父を見て育ったので酒など飲む気はなかったのですが、職場の上司に誘われ飲んでいるうちに、飲むと気が楽になることを知ったのです。無口で人から話しかけられるのが苦手だった自分も、酒を飲むと胸のつかえがとれたようにバンバン話すことができる。25歳で上京し建築の仕事を始めてからも、人とコミュニケーションをとるため酒を使うようになりました。

行きつけの居酒屋ができてからは、マスターが兄貴のような存在になり、そこが唯一落ち着ける場所になっていきました。毎日、仕事帰りにマスターに会いに行き、ビールの大瓶を3本飲んで、マスターや常連さんと会話を楽しむ。そんな生活がずっと続くと思っていました。

すべてが一変したのは、38歳のときです。いつものように仕事帰りに寄ると、店は開いているのにマスターの姿が見えません。住居になっている2階を見に行ったら、亡くなっているのを発見したのです。衝撃でした。

その日以来、生きる気力がなくなり、忘れるために酒を飲むようになりました。朝に同僚が迎えに来てくれて、職場へは行くのですが、酔いが冷めておらず仕事になりません。心の中では「ここでやめておこう」という気持ちがあっても、酔いを感じないといられず、4本目のビールを飲むともうどうでもよくなってしまうのです。

半年ほどで仕事を辞めざるを得なくなり、血便が出て部屋で倒れました。物音を聞いて驚いた大家さんが救急車を呼んでくれ、退院後は結局、生活保護を受けることになりました。福祉事務所の人に「もしかしたらアルコール依存症かもしれないので、病院へ行ってください」と言われ、飲んで暴れるわけでもないのに、なぜ?という思いでした。

月曜から土曜日までデイケアに通うことになりましたが、依存症の人は少なく、酒をやめることなど考えられませんでした。肉体的にも精神的にも飲酒欲求がありました。黄疸の症状が出てやせ細り、体調は最悪なのに、飲むと体調の悪さも手の震えも少し落ち着くのです。

これからどうしたらいいのか。どう生きていけばいいのか。再就職も考えましたが、主治医からは「体力が持たない」と言われており、酒で心をごまかしながら、デイケアに通うだけの日々が5年続きました。

流れを変えるきっかけになったのは、母の一言でした。たまたま実家に電話をしたら、母に「だったら帰ってこい」と言われたのです。その一言がうれしくて、翌日、帰郷しました。49歳のときでした。

飲まない輪の中に入ってみようか……

それから地元の専門病院につながるまで、2年ほどかかりました。実家に帰っても仕事は見つからず、「自分はここにいていいのだろうか」と自問自答しながら親の目を盗んで隠れ酒をしていたのです。そんな私を見かねた近所の民生委員さんが一緒に区役所へ行ってくれ、そこで「アルコール依存症と診断されています」と伝えたら、専門病院を紹介されました。

専門病院のデイケアは、以前に通ったデイケアとは違い、こちらが戸惑ってしまうくらい人数が多く、活気がありました。通い始めて1年ほどは家に戻るとビールを1本飲んでいましたが、酒をやめている人の方が多いので、心情的にだんだん飲みにくくなっていきました。以前は断酒会など関心がなかったのに、通っている人の話を聞くうちに、断酒した方がいいのかな?と思うようになっていったのです。

飲んでいてもそんなにいいことはない。だったら飲まないで、この輪の中に行こうと思ったのは、ゴールデンウィークに一人で山寺へ行ったことがきっかけでした。今思うと、人生に疲れていたのでしょう。無になりたいと思ったのです。そして帰ってきたときから、私の断酒が始まりました。

不思議なことに、飲みたいという気持ちが出なかったのです。飲まないでいたら、楽だと気づきました。ミーティングで「昨日は飲みませんでした」「今日も飲みませんでした」と続けるうち、自分は酒をやめているんだという感覚がだんだんと体に染みこんでいきました。

デイケアに通うことが楽しい

あれから8年が経ちます。あのときなぜ酒がとまったのか、自分でも不思議です。ただ、酒を飲まない生活がこんなに楽だとは思ってもみませんでした。飲まないと1日が楽しい。水も食べ物もおいしい。デイケアの食事さえおいしいのです。

月曜はミーティングとワークとスポーツ、水曜はヨガとソーシャル・スキルトレーニング。ときどきカラオケもします。木曜はアートヨガとミーティング、金曜はワークとスポーツとミーティングです。こんなふうに時間割が決められていて、その中で動くのが私にはあっていたようです。時間の使い方がわかってきたし、デイケアへの行き帰りで、苦手だった人ごみにもだいぶ慣れてきました。

デイケアの中で気に入っているのは、ソーシャル・スキル・トレーニングやスポーツです。ミーティングも、「この人は今日はどんなことを話すのだろう」と楽しみにしています。いろいろな人を観察するのが面白いのです。自分と照らし合わせ、どこが違うのか、自分の場合はどうなのかを考えるのです。以前は自分の所在がなくて下ばかり見て生きていた私ですが、今はこの人たちも違いこそあれ自分と同じなのだと思えるのです。

2年前に母と姉が立て続けに亡くなりました。身内がいなくなり、人生で初めて自分のことだけを考える境遇になりました。このまま断酒会に入会し、断酒活動をしていくか、それとも自分のことだけを考えて生きていくのか。例会で家族の体験談を聞くと身に染みるものがあるので、もっと聞きたいという気持ちはありますが、まだ決めかねているのが現状です。できればもう一度働きたいという思いもあって、自分にできるのだろうかとも考えます。いずれにせよ、酒をやめて以来、自分にとっては「未知の世界」を更新中です。何かをやると決めたら徹底的にやりたいので、焦らず答えを出していきたいと思っています。

回復のカギ
●民生委員が一緒に役所へ行ってくれたこと
●デイケアでたくさんの依存症者と出会った
●飲まない輪の中に入ろうと思えたこと

※写真は本文とは関係ありません