回復のカギ
断酒5年目に、友人の結婚式で再飲酒。失職、離婚を経てまた一から断酒を始めた。
S・T 断酒4年(男性・43歳・電気工事)
1人酒の習慣をやめられず…
23歳のとき、仕事で望まない部署へ異動になったことをきっけかに会社を辞めました。心機一転を図り、一人暮らしをすると同時に職探しを始めましたが、そのときについたのが朝酒の習慣です。目覚めると何となく手持ち無沙汰でまず飲酒し、昼から就職活動をするという具合。今思うと、あれが依存症の始まりでした。再就職してからも、暇さえあれば酒を飲むようになりました。
酒が問題になったのは、29歳で結婚してからでした。目の前に妻がいても、一人暮らしのときと同じように酒を飲んで潰れていたので、口喧嘩が絶えなくなりました。「お酒の量を減らして」と言われると「わかった、じゃあ減らすよ」と答えるのですが、結局飲みたくなってしまう。隠れて会社の帰り道に飲んで帰るようになり、3ヵ月で別居に至りました。
慌てて妻の実家にあやまりに行きましたが、妻はなかなか首を縦に振ってくれません。そのたびに私が早々に引き上げるのは、結局、早く酒を飲みたい気持ちがあるからだということを妻も見抜いていたのだと思います。
その後、胃潰瘍になり入院し、妻は戻ってきてくれましたが、退院後に再飲酒するとまた出て行ってしまいました。再び実家に戻った僕が母に勧められた通院と断酒会参加を始めたのは、酒をやめたいというよりこの状況を何とかしたいという思いがあったからでした。
断酒会に行っていると言えば、妻が戻ってきてくれるのではないか?その一心でした。そんな調子だったので、飲みながら断酒会に通っている状態でした。ところが例会に行く度に「まだ酒をやめられてないです」と言うのがだんだん苦しくなって、だったら本当にやめてみようかという気持ちになったのです。
最初の断酒は1年続きました。その間、妻が戻ってきてくれたので、私も実家から引き上げ、例会場が100キロも離れてしまったため断酒会へは行かなくなりました。そんな中、妻が出産で入院している間に再飲酒しました。1人になると思うと飲酒欲求がわいてきて、防御策として妻の実家に寝泊りしたにもかかわらず、耐え切れなくなって「明日は朝が早いから」とアパートに帰り飲んでしまったのです。
出産後も実家で過ごしていた妻が、寄りつかなくなった私を不審に思い、再飲酒が発覚しました。もう二度と飲むまいと決め、近くの例会場を探して参加して再び断酒しましたが、結局、仕事や生活の忙しさを理由にまた足が遠のいていきました。
こんなはずではなかったと思いながら
それから5年間、酒は止まっていました。今思うと、我慢の飲酒でした。「飲んだらダメだ」「今度飲んだら妻子を失う」という恐れだけがあり、飲まないかわりにパチンコをすることで何とかもっていた状態でした。そしてある日、友人の結婚式に出た際、「祝いだからシャンペンの一杯くらい飲んでも大丈夫だろう」と思い飲んでしまったのです。そのときは「なんだ、飲んでも大丈夫じゃないか」という感じでしたが、飲酒欲求がとまらなくなり、歯止めが効かなくなるまでそう時間はかかりませんでした。
こんなはずではなかったと思いながら、何も考えたくなくてますます酒を飲みました。妻に「パチンコもダメ、酒もダメ。全部我慢させて他に何をしてくれるんだ」と言い放って失踪し、ネットカフェで10日間過ごしました。会社には嘘をついて欠勤の連絡を入れていましたが、しまいには何もかもどうでもよくなって「また酒を飲みました。辞めます」と電話で一方的に伝えて退職。積み上げてきたものががたがたと音を立てて崩れていきました。
戻る場所がなく、仕方なく実家に帰るしかありませんでした。親には「とにかく酒をやめなければ。断酒会へ行こう」と言われましたが、5年間1人で断酒したという変なプライドもあって、「1人でやめられる」とかたくなに拒みました。
結局、「就職活動をする」と言って外へ出て公園で飲んだり、母が1人で例会に行っている間に飲んだり。「今日だけは一緒に行ってもらう」という母に連れられ例会に行くと、以前の顔見知りの人に「酒をやめないとな」と言われ、「わかりました」と答えるしかありませんでした。みんなに申し訳ない。でも今は飲みたい。それがあの頃の自分です。
妻に謝って家に入れてもらい、今度飲んだら専門病棟に入院することを条件に仕切り直しをしましたが、やはり酒は止まりませんでした。観念して病院へ行くと、母が連絡をしていたのでしょう、断酒会の会長さんが出迎えてくれました。「今度は1人でなく一緒に酒をやめていこうや」と言われ、申し訳ないと思いながらも、こんな自分を気遣ってくれる人がいることが嬉しくて涙が出ました。
「断酒」という人生の基盤を作る
入院してシラフになって、例会出席を怠ると自分はどうなるのか身にしみてわかりました。妻とは離婚という結末になり、子どもにも会えなくなりました。それでも飲まなかったのは、断酒会から離れれば、自分はまた酒を飲むと思ったからです。
入院中、元気になって退院した人がボロボロになって逆戻りする姿を何度も見ました。そうならなないためには、「断酒」という人生の基盤を作っていかなければならない。もう一度一からやり直すしかないのだ、と。
退院後は断酒を第一にすることを体に染みこませるため、デイケアに通いながら例会に出席する生活を2年間続けました。毎日定時に起きて身支度を整えて家を出る。9時からデイケアに参加し、2時まで運動をしたり仲間と話をしたりして過ごす。夜は例会に行って、1日酒のない場所で飲まずに過ごす。緩やかな時間でしたが、時間を持て余して朝酒をしていた自分にとっては必要なトレーニングだったと改めて思います。そうして少しずつ、新しい基盤ができていきました。
その間、友人の会社をときどき手伝うようになりました。10代からの友人で、飲んでいた頃のことも断酒した頃のことも、再飲酒したときの状態も知っています。依存症について理解をしてくれており、「例会には行けるようにするからもっと手伝ってくれないか」と言われ、週3~4日働くようになって半年が経ちます。
ハローワークで仕事を探した時期もあり、フルタイムで働くことも考えましたが、もうしばらくこのペースを続けていきたいと思っています。贅沢はできないけれど、何とか生活はできる。今無理をして働いたら、仕事にとらわれまた飲んでしまうだろう。だからコツコツやれている今の生活を大事にしたい。そこからまた何かが始まると信じています。
- 回復のカギ
- ●母があきらめなかったこと
- ●これ以上、飲んだら入院すると約束したこと
- ●病院で断酒会の会長が出迎えてくれたこと
※写真は本文とは関係ありません