回復のカギ

会社をやめ、放浪したあげくホームレスに。万引きで書類送検されたことがきっかけで、治療につながった。

W 断酒2年(男性・31歳・ゲーム販売会社勤務)

生きる意味を見出せない

不眠、寝汗、手の震え……。アルコールの離脱症状に気づいたのは大学4年、21歳の時です。大学のアルコール予防教育で「一人で飲むのは危ない飲み方」と聞いたときから、自分は依存症になるだろうと思っていました。図書館で依存症関係の本を何十冊も読んでいたので、これは完全に依存症の初期だと確信すると同時に、飲み続けて死ぬのならそれもいいという気持ちでした。

何かに依存しやすい体質は、以前から持っていました。愛情深い両親のもとで何不自由なく育ちましたが、親の転勤により小学生時代をロンドンで過ごしたこと、帰国後は年子で双子のように育った姉が摂食障害を患ったことなど、不安定な環境の影響もあったと思います。また、ゲイであることも自分の中に深い影を落としていました。体裁を整えるのは得意なので「優等生」を演じていましたが、人と分かち合うのが苦手で、世の中を見下しながらも心はいつも空虚感に覆われていました。

大学を卒業後、希望の企業に就職してからも、酒をやめる気はありませんでした。幸い最初は問題も表面化しませんでした。それどころか傍からみたら、真面目で熱心な新入社員という印象だったと思います。しかし他部署への移籍試験に落ちてからはミスが目立ち始め、うつ状態になりました。そしてある日、家族に「消えます」と置手紙を残し、沖縄へと旅立ったのです。それから5年間の放浪生活が始まりました。

「今でもあなたが大事」

沖縄、そして広島へ。そこで急性すい炎になり2ヵ月緊急入院し、退院後はいったん実家に戻ったものの、両親に「このまま酒をやめず仕事もしないなら出て行ってほしい」と言われ、再び家を出ました。

1年ほど近くのマンスリーマンションや安アパートに住みました。いっそ働きながら海外へ行こうとか、いろいろやろうと思ったことはありましたが、結局飲むことしかできませんでした。貯金が底をつき大阪のドヤ街へ行ったのは、25歳のときです。このまま飲んだくれて死ぬのなら、両親に迷惑がかからない遠くの地がいいと思いました。

ところがいざ死のうとしたら、怖くなりました。だったら最後の瞬間まで生きて飲もうと決め、気づいたらホームレスになっていました。

時おり急性すい炎の発作に見舞われながら、3年ほどホームレスを続けました。食べ物と酒は万引きで調達。1.2ヵ月に1回は捕まりましたが、店側も面倒なのか被害届けを出さず放免されることの繰り返しでした。着るものは捨ててある比較的きれいなものを選び、パッと見はホームレスに見えないように髪型や衛生にも気遣っていました。その生活は自由でありながら不自由、現実でありながら現実ではないような感じ。子どもの頃から自分を隠し、「ひとかどの人間にならねば」とがんばり続け、それなりに評価されてきた過去が全部嘘だったように思えました。

治療につながるきっかけは、ある店が万引きの被害届を出したことでした。初めて書類送検され、両親の知るところとなったのです。警察のソファーで一晩明かした後、駆けつけた両親を見たときは、殴られるかと思いました。ところが二人とも「生きていてよかった」と喜んでくれ、この人たちはまだ自分のことを見捨てていないのだと感じました。

母は僕が最初に家を出てからずっと、家族会に通っていたそうです。警察を出て今後のことを話し合ったとき、「今でもあなたが大事で、幸せになってほしいと思っている。でも、どうするかはあなたの人生。お酒をやめたいなら援助する」と言われ、病院へ行くことを受け入れいました。

就労プログラムを経て再就職へ

3ヵ月弱の入院で体力が回復しても、空っぽな自分はそのままでした。「優等生」の自分が再び顔を出し、プログラムを難なくこなす一方で、酒をやめる意味を見出せない冷めた自分がいたのです。それでもケースワーカーに「退院後は生活を立て直すために入寮施設へ行った方がいいのでは?」と勧められたとき、今までとは違うやり方を試してみようと思いました。

リハビリ施設に入所してAAに通い出しても、最初は「仲間の支えで」「仲間に感謝している」という言葉を聞くたびに嫌悪感を感じました。自分はみんなとは違う、他の人には効果的かもしれないが、自分には合わない、と。

このままやっていけばよい方向へ行けるのではないかと思い始めたのは、2,3ヵ月経ってからです。「優等生」ぶりを発揮して周囲のマネをしてみたら、なんだか楽になり、もしかしたらAAのプログラムは自分にも効くのかもしれない、やれるだけやってみようという気持ちが出てきたのです。するとやっぱり20代のうちに就職したい、正社員になりたいという具体的な目標が出てきて、急に社会復帰が現実味を帯びてきました。

といっても、3ヵ月ごとのスタッフ面接では、なかなか就労の提案がもらえませんでした。焦りやプライドが交錯する中、施設のプログラムを批判したり「施設利用費を出してもらっている親にこれ以上負担をかけたくない」と言って強引に出ようとしたこともあります。その度に何とか踏みとどまった結果、1年後に「ハローワークへ行って午前中だけの仕事を探すことから始めましょうか」と言われたときはうれしかったです。

いきなり正社員を目指すのではなく、社会復帰の訓練だと思えば、酒に関わらない限りどんな仕事でもやろうという気持ちになれました。半日でOKの運転と事務系を探すと、ゲーム会社の事務が見つかり、さっそく応募。「履歴書には嘘は書かない」と決めていましたが、5年の空白をどう説明するかはやはり悩みました。幸いにも放浪時代に派遣会社に登録していたのでそれを書き、「作家志望でしたが30歳を前にあきらめて就職することにしました」と説明しました。ホームレス時代によく小説のプロットを考えていたので、あながち嘘でもなかったのです。

結果は採用。社長の頼まれごとや発送作業をする簡単な仕事でしたが、パソコンに触るのも久しぶりで、最初は緊張しました。でも、午後になれば施設へ戻れたし、次第に慣れてこなせるようになりました。「フルタイムで働きませんか?」と誘われ、正社員になったのは一年ほど経ってからです。AAや依存症ということは言わなかったのですが、酒をやめるため自助グループへ行っていることを思い切って話すと、「かまいません」と言われ、朝の出勤を早くすることで話がまとまりました。

それと同時に、施設からの提案もあって自立。週末は施設のデイケアに通う生活を数ヵ月続け、徐々に新しい生活に慣らしていきました。こんなふうにゆっくりと守られながら社会復帰をさせてもらい、よかったなと改めて思います。入寮していた頃はリハビリ施設など金と時間の無駄遣いだと思ったこともありましたが、「もうちょっとやってみよう」「もうちょっとがんばろう」と思ううちに、ここまで来たのです。

正社員になってからは、5時にあがることができず6時になってしまったり、休日に緊急の連絡が来たりして、アルバイトのときとは違うなと思うこともしばしばです。それでもやっていけているのは、AAや施設のOB会が支えになっているからです。まさか自分がこんなことを言うようになるとは思いもしませんでしたが、AAには空っぽの心を埋める何かがあります。ホームレス時代のことや万引きのことも話せますし(どん引きされることも何度かありましたが)、自分がゲイであることについても話せます。ありのままの自分で人とつながると、こんなにも楽になれるものだと初めて知りました。

回復のカギ
●万引きで起訴されたこと
●自分はまだ見捨てられていないと感じられたこと
●ケースワーカーにリハビリ施設入所を勧められたこと・AAへの参加

※写真は本文とは関係ありません

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