回復のカギ

別居中の妻に認めてもらいたい一心で、断酒会に通ううち、ただ酒をやめればいいわけではないと気づいた。

K・T 断酒2年(男性・37歳・医療系企業勤務)

ビールと睡眠薬で酔うのが好きだった

「あなた、昨日の夜のこと覚えてる?」。20代後半あたりから、妻にそう聞かれるようになりました。会社の上司に電話をして、仕事上の不満を言ったり、車でコンビニへ行ってビールやお菓子を買ってきたり。ところどころ覚えているのですが、妻に言われ財布の中のレシートを見て、初めてコンビニへ行ったことに気づくこともしばしばでした。

夜眠れないのが悩みだった私は、ビールと睡眠薬をよく一緒に飲んでいました。妻が子どもたちを寝かしつけ、寝室に入るのを見計らい、飲んでくつろぐのです。私の記憶はたいていそこで止まっていました。ブラックアウトしていたのです。

特にひどかったのは、妻に対する仕打ちでした。私は寝ている妻を起こし、「誰のおかげで飯が食えるんだ。そういう俺に酒をやめろというのか」と狂ったように怒ったそうです。普段から妻に「お酒は少なめにして。睡眠薬はやめて」と言われており、あれこれ言われたくないという思いがどこかにあったからだと思います。

会社の健康診断で血糖値が高いことがわかり、再検査して即入院となったのは30歳のときです。すい臓が完全にダメになっていて、インシュリンがまったく出ていない状態でした。退院後も1日4回の注射を続け、医師には「酒を控えるように」と言われましたが、どう控えればいいのかわかりませんでした。

ビールをやめられるはずがないと思いながら、1日に350ml缶1,2本にしようと努力してみました。続くわけがなく、体調はいっこうに回復しませんでした。その頃には、夫婦の間はすっかり冷え切ったものになっていました。妻は3人の子どもを抱え、何とか生活を保とうと努力していたんだと思いますが、ついに両親を挟んで妻と話し合いが持たれ、「お酒をやめなければ私たちは出て行く」と言われてしまったのです。

「あなたの責任だから、病院は自分で探して」と突き放され、離婚されたくない一心で病院を探しました。近くの精神科へ行くと、抗酒剤を処方してくれ、自助グループに参加することを勧められました。しかし何か胡散臭い感じがして、とりあえず妻には通院して抗酒剤を飲むことで勘弁してもらいました。

自力で断酒を試みたものの、半年で再飲酒

しかし私は飲酒欲求の塊で、「おまえがムスッとしてるので俺が飲みたくなるんだ」と妻を責めることで何とか保っている状態でした。再飲酒したのは半年後、妻と子どもを連れショッピングモールへ行ったときのことです。その1週間前から抗酒剤を飲まなくなっており、今から思うと飲む準備をしていたのだと思います。

服を見てくるという妻と別れ、ベビーカーを押しながら歩いていたら、酒屋がありました。その瞬間、「妻はあと1,2時間は帰って来ない」という考えが頭を駆け巡り、次の瞬間には500mlの缶ビールを買っていました。一気に飲み干すと、今までのストレスがすべて消えて楽になった気がしました。さらに3本買って飲み、妻との待ち合わせ場所へ行くと、顔を見るなり「あなた酔ってぱらってるの!?」と驚かれました。私は「飲んでるわけないだろ」と威嚇して妻を黙らせ、そのまま飲酒運転をして帰りました。それから隠れ酒が復活しました。

1ヵ月ほど経ち、空き缶の山を発見した妻は、ただ「はぁー」とため息をつきました。しかしすぐに離婚と言われなかったのをいいことに、私はそれからも飲み続け、以前と同じように妻に対し暴言を吐くようになってしまいました。

まずいと思ったのは、子どもがそばにいることに気づかず、妻にあたったときです。私が出した大声に怯えたのでしょう、気づくと子どもの目から涙がぽろぽろこぼれていました。私は「おまえがこうだからこの子がこうなる。子どもなんて連れて出て行け」と言いながら、取り返しのつかないことをしたのを感じていました。

妻に「子どもたちの為にと何とかやってきたけれど、この子たちにも危害を与えるようなあなたとは一緒に生活できない。子どもたちのことを思うなら、今すぐ出て行ってほしい」と言われ、私はなす術もなく、数日後にウィークリーマンションに引っ越しました。本当に一人ぼっちになってしまったのです。酒をやめなければ、でもどうしたらいいかわからない……。それが私のターニングポイントでした。

酒をやめていることを認めてもらいたい

会社とアパートを往復するだけで日々が過ぎていき、悩んだ挙句、最後に思いついたのが断酒会へ行ってみることでした。見学に行き、会長さんと話し、初めて他人に事情を説明して助けを求めました。会長さんは「とにかく断酒したいのであれば、私たちは待っていますから」と言ってくれ、訳もわからないまま2回、3回と出席するようになりました。

最初は自分より年上の人ばかりがいるのが嫌で、みな楽しそうにしていることに腹立たしささえ感じました。しかし例会で話す順番が回ってくると、一人になってしまったつらさや、抗酒剤を飲んでいるのに酒が止まらない苦しさが自然とあふれ出てきました。みんなうなずきながら私の話を聞いてくれ、「大丈夫だよ」と言ってくれ、その温かさが身に染みました。

断酒会の先輩が、他県の断酒会例会や断酒学校へも連れて行ってくれました。最初はそうして熱心に断酒会に参加することで、妻に認めてもらいたいという邪な気持ちがあったのですが、次第に自分の間違いに気づかれさることになりました。

実は断酒して2、3ヵ月目まで、私は頼まれもしないのに、妻に毎日メールを送っていたのです。「今日は○○の例会に行った」「今日も酒をやめている」と書いても返信が来ず、「何の返信もないんだけど」というメールを送ったこともあります。断酒会の先輩に相談すると「メールはやめた方がいい。焦るな」と言われました。

そんなある日、断酒学校で知り合った家族の人たちに言われた言葉にハッとしました。「夫もあなたと同じように『酒をやめている』と言ってきたけど、はっきり言って迷惑だった」と。「しっかりやっていれば、人づてにでも伝わるときが来る」「子どもが父親に会いたがっている姿を見たら、奥さんも考え直してくれるかもしれない。でもだからといって、それはあなたを許すこととは同じじゃない」とも言われました。

それでも寄せ返す波のように焦りがやってきて、その後も何度も先輩に相談しました。その度に「今は黙って断酒するしかない。向こうからアプローチが来るのを待つんだ」と諭されました。目が覚めたのは、断酒1年目です。性懲りもなく妻に「もう一度一緒に暮らしたいね」とメールを送り、「あなたは何も変わっていなくてがっかりした。結局、自分のことしか考えていないのね」と言われたのです。

ただ酒をやめていればいいわけじゃない。酒はやめて当たり前で、それ以上のことが必要だったのだと、ようやく分かりました。自分を見つめ直さなければ、飲まなくても酔っ払いと同じなのです。あの頃から、そうならないために例会に行くんだという気持ちが固まってきました。例会へ行くと、必ず何か気づきをもらえます。今も別居していることに対し焦りはありまが、気持ち的には少し楽になりました。こうしていけば、いつかきっと違う未来が来る。今、少しだけ、それが信じられる自分がいます。

回復のカギ
●健康診断の再検査
●妻子が出て行ったこと
●断酒会の家族の人の言葉

※写真は本文とは関係ありません

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