回復のカギ

アルコール依存症と診断されてホッとした。しかし酒をやめても、自分の問題は残っていると気づかされた。

A・H 断酒3年(男性・35歳・会社役員)

自分は間違っていないのに、なぜ、わかってくれないのか?

私は現在、35歳です。3年前、アルコール依存症と診断されたときは、自分の状態には理由があったんだとわかり、ホッとしました。

当時、私は、父が経営する会社の役員になったばかりで、急激にストレスを溜め込んでいました。会社のことを考えなければならない立場になり、それまでうまくいっていた社員との意思疎通でぶつかることが多くなったのです。自分としては、会社のために、社員のためにと考え行動しているつもりでも、なかなか受け入れてもらえない。そのストレスを酒で紛らわせるようになりました。

今思うと、もともと私には高慢さや「こうあるべきだ」というこり固まった考えがあって、それが酒によってより強化されていったのだとわかります。けれども当時はまったく気づきせんでした。酔った頭で考えると、どんどん自己中心的になっていきます。自分は正しいのに、理解してくれないのは周囲が悪いからだと思い、いつも頭の中で誰かを責めていました。

私は1人暮らしをしているので、いくら酒を飲んでも誰に咎められることもありません。飲み方がおかしいという自覚もないまま、日曜日でも深夜まで飲む日々が続き、やがて月曜日に遅刻をしたり欠勤をしたりするようになりました。予定をダブルブッキングして、取引先に迷惑をかけたりし、さすがに何かおかしいと感じ始めました。こんなはずではないと思いながら、自分でも信じられないようなミスを重ねてしまう。自分はいったいどうなってしまったんだろう、と。

私の状態を、周囲も不審に感じていたようです。ある日、近くに住む父に「知り合いにおまえのことを相談したら、うつかもしれないと言うので、一度病院へ行かないか」と言われました。素直に従ったのは、自分でも自分を持て余していたからです。心療内科へ行くと「酒量が多いので、専門病院へ行った方がいい」と言われ、病院を紹介されて、そこで専門医にアルコール依存症と診断されました。

依存症は「否認の病」とも言いますが、私の場合、むしろ自分の状態に名前がついていたことが救いになりました。ただ、「もう一生、酒は飲めません」と説明されたときは、それは無理だと思いました。酒は控えなければならないことは理解できても、一生飲めないと考えたら、途方もないことに思えたのです。

だから医師に「通院と入院、どちらを選択しますか」と言われたとき、迷わず入院を選びました。「入院するなら1ヵ月先になります」と言われても、「僕は入院しないと酒をやめられません」とお願いしました。後になり、もしかしたらあれは医師に治療への意志を確かめられていたのでは? と考えたりもしましたが、運よく3日後にベッドが空いて入院することができたときは、とてもホッとしました。

自分で自分にレッテルを貼る

しかし入院した当初は、かなり落ち込みました。私が入院した病院には、建物の周囲に壁があります。今思うと決して高い壁ではなかったのですが、それがすごく高い壁に思えていたことを思い出します。最初の1週間は外出することができず、壁を隔てて見える民家がとても遠い存在に感じました。あそこで暮らしている人と、壁の中にいる自分は、同じ人間ではあるが、別人種なんだと思いました。自分は壁に隔てられ、外に出てはいけない人間というレッテルを貼られてしまった。「アル中」「依存症」という病になってしまったことの重篤さを実感し、自分を責め、落胆し、絶望すら感じました。

それだけに、1週間経って、治療プログラムとして自助グループに参加するため病院の外へ出たときは、うれしかったです。来るときは気づきませんでしたが、いたる所にコンビニがあって、「酒」のマークがまぶしかったことを覚えています。見ちゃいけない! と目をそらして先を急ぎました。

自助グループには熱心に参加しました。近くにある会場で、病院で顔見知りの人がたくさんいるところではつまらないので、あえて遠くの会場まで行くようにし、いろいろな人の話を聴いて、依存症に関する理解も深まっていきました。

ところが退院後は、せっかく入会までした断酒会に行かなくなりました。3ヵ月の入院生活で飲酒欲求がなくなったこともあり、もう酒の問題からは解放されたと感じていたこともあります。また、私は何事も1人で解決しようとして抱え込むタイプなので、頭のどこかに「同病相哀れんでも問題は解決しない。断酒は意志の問題だ」という考えもありました。

1人でやめ続けるのは難しいと感じたのは、半年ほど経ってからです。というのも、退院後、私はすぐに仕事に復帰できる状態だったのに、なぜか働く意欲がまったく沸いてこず、引きこもり状態になっていました。これはやはり自分に何か問題があるのではないかと感じ、自己啓発や心理の本を読み漁っていて、自分は書いてあることと間逆のことをしていると気づいたのです。変わりたいと思ったら、自分から行動を起こさなければいけない。誰かに話を聞いてほしい、誰かとわかり合いたいという気持ちが芽生え始めていました。

久しぶりに例会に参加するようになって、前とは違う感覚を味わいました。そのときにある自分の感情を話すことによって、凝り固まっていた自分の考えが少しずつほぐれていくのを感じました。それはまるで、固く膿んでいたものが膿みとなって外にあふれ出すような、それが水によって洗われていくような、不思議な気持ちよさでした。傍から見たら、何の変化も見えなかったと思いますが、心の中では確実に変化が起きていたのです。

断酒を通して、生き方の点検をする

今でこそ私は、こうして自分の感じたことを言葉にして表わすことができるようになりましたが、そうなるまでには2年近くかかりました。職場に復帰したのも数ヵ月前のことで、それまでは例会とカウンセリングの日々でした。

その間、いろいろな気づきや葛藤がありました。一見何の問題もなく、むしろ「いい家」と思われるような家庭で育ったけれど、実は酒と暴力のある家庭だったこと。自分は決してそうはならないと誓っていたのに、飲んでいた頃つきあっていた人に暴力をふるってしまったこと。そんな自分を正当化しようとしていたこと。普段から感情を表わすことができず、仕事においても、感情など邪魔なだけだと考えていたこと。有名大学に入り競争社会の中を生きてきて、困ったことがあっても1人で解決しなければいけないと思い、誰かに相談するという発想すら持っていなかったこと……。

自分の生きづらさやバランスの悪さに目を向けるのは、とても苦しい作業でしたが、ようやくこれが自分なんだと受け入れることが少しできるようになった気がします。結果的に2年近く仕事を休んでしまったので、復帰は不安でしたが、主治医に「2年酒をやめた経験があなたの自信になります。他人から見ても2年やめたことが信頼につながりますよ」と言われたとき、もう一度やり直す気持ちが固まりました。

社長である父と主治医がプランを立ててくれ、現在は週3回のペースで役員に復帰しています。以前は周囲と意見の食い違いがあったとき、「俺が正しいのだ」という気迫で迫っていましたが、何か問題が起きても一呼吸置いて「あなたはどう感じますか? どうしたいですか?」と相手の意向に耳を傾けることで、物事がうまく進んでいくことに驚いています。人には心があるから、正しいか正しくないかだけの見方ではなく、心をほどかないとうまくいかないのだと改めて感じています。依存症についても同じことが言えると思いますが、問題があることが問題なのではなく、それをどう受け入れ対処するかが問題だったのです。

回復のカギ
●父親が心療内科を勧めた
●例会の気持ちよさを知った
●素面の問題に目を向けたこと

※写真は本文とは関係ありません

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