回復のカギ

健康管理医(産業医)の介入で入院、そしてリハビリ施設へ。職場と施設の連携のおかげで、復帰への不安を乗り越えられた。

H・U 断酒5年(男性・47歳・公務員)

3度の入院を経て、リハビリ施設へ

「ベッドが空き次第、入院してください」。職場の健康診断で肝機能障害を指摘され、健康管理医に入院を勧められたのは35歳のときです。それまでも肝機能の低下を指摘されていたのに、休肝日が作れず体調が悪化していました。

今思うと、すでに依存症でした。退院しても飲んで2ヵ月後に再入院。担当医に「アルコール依存症」と言われ、退院後は抗酒剤を処方されましたが、すぐに元の木阿弥でした。酔って鍵をなくしたり、泥酔して警察に保護されたり。トラブルが増え、結局、37歳のときに精神科病院入院となりました。

入院を決めたのは、体がどうにもだるくて健康管理医(産業医)のもとへ行ったとき、勧められたからです。拒めば仕事に支障が出ると思いました。ところが紹介状を持って精神科病院へ行くと、「アルコール依存症で3ヵ月の入院が必要」と言われ、さらに「退院後はリハビリ施設に通う必要があるかもしれない」と施設の電話番号まで渡されました。まさかそんな長期間仕事を休まなければならないとは思わなかったので、ショックでした。

「早いうちに施設を見学するように」と言われたので、仕方なく見に行きましたが、「ここは俺よりもっとひどい人が来るところだ」と思いました。「酒でいくつか失敗してきたことは確かだが、それはたまたま飲みすぎたときだけだ」と。とにかく入院中は、早く退院するため「いい患者」になることしか考えていませんでした。けれども自助グループへ行くため外出すると、飲んでしまうことを繰り返しました。退院時、医師に「施設へ行きなさい」と言われましたが、持病のヘルニアを理由に自宅療養をしながら酒を飲み続けました。

観念したのは、医師の介入です。退院後、2週間に1度入院していた病院に通院していたのですが、施設へ行っていないことがばれてしまい、「施設のプログラムを終了しないと復職の診断書は書きません」と言われてしまったのです。仕方なく通所を始め、少しでも早く修了するため「いい利用者」になることを目指しました。けれどもどうしてだか、2ヵ月と断酒がもたず、だんだん自分が不安になりました。

どうしても酒をやめ続けることができない

リハビリ施設には酒をやめ卒業していく人がいる一方で、私は何度も失敗し、卒業の目処も立たない状態でした。治療のために休職するという制度をとっていたため、3ヵ月に1度職場の上司と外で面接をしなければならなかったのですが、「調子はどうだ?」と聞かれても「もう少し時間がかかりそうです」としか言えませんでした。1年ほど経ち、希望を失い社会復帰など夢だったんだと思い始め、上司に「もう無理だと思う」と告白したとき「早まるな」と止めてくれなかったら、あきらめていたと思います。上司は副所長と一緒に家に来てくれ、家族とも話し、私は解毒のため入院し、仕切り直して施設でのリハビリを続けることになったのです。

前と環境を変えるため、実家を出て一人暮らしをすることにしました。それまで親が傷病手当てを管理してくれていたので、自活できるくらいは貯金がありました。その甲斐あってか、1年後に無事プログラムを終了したときはうれしかったです。やっと自由になれたと思いました。

ところが復職し、遅れを取り戻そうと必死になればなるほど気持ちが空回りして、数ヵ月で再飲酒していました。駅のキオスクで薬用酒を2本買い、ホームで飲んだのが始まりです。それから1年以上、周囲にひた隠して飲み続けました。再び治療に戻ったのは、ヘルニアを理由に仕事を休んで連続飲酒に陥り、正体不明のまま実家に連れ戻されたことがきっかけでした。そうなって初めて私は「底」をついたのです。

再び健康管理医(産業医)のところへ行くと、「アルコールの問題が解決していないね。自分で専門医を見つけてどうするか決めなさい」と言われました。思いつくのはリハビリ施設しかありませんでした。とりあえず自分で調べて病院へ行き、「入院ではなくリハビリ施設に行こうと思っている」と伝えたものの、今さらどの面を下げて行けるだろうと考えるとなかなか勇気が出ませんでした。そんなときです。本当に偶然なのですが、リハビリ施設からセミナーのお知らせが届きました。それが私の背中を押してくれました。精根尽き果てた顔を見て、施設の人は一目で状態がわかったのでしょう。事情を説明すると「戻ってきなさいよ」と言われ、泣けてきました。

「これが最後のチャンス」だと言われ……

それから10ヵ月、再びリハビリ施設に通いました。自分が本当に恵まれていたと思うのは、2度目にも関わらず、病気休職が許されたことです。解雇を覚悟していましたが、上司は整形外科医と健康管理医(産業医)の話も聞いてくれた結果、「これが最後のチャンスだ」と言って応援してくれたのです。実際、上司は何度もリハビリ施設に来てくれました。スタッフと話し合いを持ち、プログラムにも参加してくれました。職場には「依存症予備軍」のような人がいて、今後の対応のためもあったようですが、スタッフに「こんなにしてくれる上司はそういない」と言われ、本当にそうだと思いました。

1回目の通所のときは「早く復帰しなければ」と考え失敗しました。2回目は、何も自分で考えることなく、ただただ、施設のスタッフの提案をすべて受け入れ、それを確実にこなしていくことしかできませんでした。アルコールに対する無力さを心底感じ、そうすることしかできない自分がいました。職場復帰にあたっては、施設と職場の協力で綿密なプログラムが立てられました。「試験勤務」という形でリハビリ中に週2回午前中のみ出勤するところから始め、3回、4回と段階的に増やしていったのです。おかげで職場へ行き神経が高ぶっても、施設に戻るとクールダウンすることができ、自分の状態を見ながら徐々に慣れていくことができました。

職場復帰の許可が下りるまでは、「自分はホントに働けるのだろうか?」と不安でした。今思うと、それが幸いしたように感じます。1回目のときのように「早く取り戻さねば」と焦って虚勢を張るだけの勢いがなく、自分の弱さを実感したことで、「だからこそまずは目の前にあることを着実にこなそう」と思うことができたからです。正式に復帰してからも、かつての部下が直属の上司として異動してくるなど予想外の出来事がありましたが、変なプライドが出ることもなく受け入れることができました。

1年後には忙しい職場に異動になり、休日出勤をすることもありましたが自助グループへの参加は続けました。健康管理医(産業医)のもとへは3ヵ月に1回の受診を続け、2年目にはそれも終了しました。

今年で断酒5年になります。実は数ヶ月前、また2ヵ月の病気休暇をとりました。飲んだわけではありません。どうしてだか気持ちが落ちて、ある朝ついに、背広を着たまま家から出られなくなってしまったのです。危機感を感じ、健康管理医(産業医)のもとへ行くとうつと診断され、「今まで普通の人と同じに仕事をしながら、一方で依存症の治療もしてきた。これは相当なテンションがないとできなかったことで、アルコールの問題が落ち着いた今、疲れが出てきたのでしょう」と言われました。また休むのは不安でしたが、確かにその通りなのかもしれないと思えたので、思い切って休みました。おかげで今は、自分の中に力が戻ってきているのを感じることができています。

健康管理医(産業医)には、「今まではこういういう状態のときに、飲んでいたんだよね。今はアルコールに頼らずいけているね」と言われました。それを可能にしてくれているのは、同じアルコール依存症という病を持ち、わかってくれる仲間の存在だと改めて感じています。

回復のカギ
●健康管理医(産業医)と上司の介入
●施設のセミナー
●試験勤務

※写真は本文とは関係ありません

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