回復のカギ

いつも「優等生」を目指していた私。歯科助手の仕事で評価を得る裏で、飲酒と食べ吐きが止まらなかった。

M・A 断酒2年(女性・40歳・元歯科助手)

「しっかり者」に見られたいから、酔う姿は人に見せなかった

私は20歳で東京で一人暮らしを始め、その頃からお酒を飲むようになりました。といっても友だちやバイト仲間に誘われて居酒屋に行くくらいで、酔いつぶれることはなく、むしろ酔ったみんなの面倒をみるタイプでした。私はもともと人の目を気にするところがあります。酔いの感覚は好きでしたが、「しっかり者に見られたい」「ちゃんとしていたい」という意識が強かったので、人前で酔う姿を見せられなかったんだと思います。だから飲みに行っても、その場では適当に飲んで、帰りに好きなお酒を買って一人で飲み直すようなことをしていました。

飲むことが癖になったのは、25歳のときに実家に戻ってからです。兄が居酒屋を開業したのでそれを手伝うためでしたが、帰宅するのが朝方になり、眠りにつくまで酒を飲むようになりました。やがて明るいうちから酒を飲むことに快感を覚え、悪い癖になってしまったのです。

29歳で結婚してからもその癖が抜けず、夫が家を出ると酒を飲むようになりました。このままでは朝から飲むことが習慣になってしまうと思い、友人に相談すると「外に出てみたら?」と言われ、歯科助手のパートに出ることにしました。

ところが、仕事から帰ってくると夜たくさん飲むようになり、記憶をなくすブラックアウトを起こすようになりました。休日には朝から飲んでしまうし、次第に仕事に行くだけで精一杯になり、家事ができなくなっていきました。

結婚生活は2年半で終わりました。先の生活が不安でしたが、パート先に相談すると社員並みの仕事量と待遇を約束してくれたので、何とかなると思いました。私の依存症が悪化したのは、それからでした。

飲酒と食べ吐きの末に、離脱症状が出て入院

実は私には、20代前半から摂食障害もあります。離婚して一人暮らしになり、解放された気がして、それまで人目を盗んでしていた食べ吐きや飲酒を我慢することがなくなりました。仕事量が増えたことで、外で長時間「優等生」をしていたことの反動もあったと思います。職場ではニコニコして頼まれたことを全部引き受け、それをこなし、帰宅して一人になった瞬間から酒を飲んで食べ吐きをしてすべてを忘れるのです。

今思うと、あの頃の私はいつも何かに追い立てられているようでした。人の前に出ると頭だけはくるくる回るのに心は空っぽの状態で、今自分がどのくらいお金を持っていて、どのくらい使っているのか、そんな当たり前のこともわからない。当然、借金も増え、何とかしなければと思うけれど、一日でも酒を飲まないと離脱症状で発汗したり心臓がばくばくしたりするようになってしまいました。

そうして3年前の夏、仕事に行こうとしましたがどうにも体調が悪く、タクシーで大学病院へ行きました。その道のりで手足の震えが出てきて、結局、救急扱いで診てもらいアルコール依存症と診断されたのです。

医師は「このまま帰ったらまた飲むから」と実家に連絡をして家族を呼び、私はそのまま実家に帰り、その夜、離脱症状が激しくなり専門病院に入院しました。

生活が立ち行かなくなり生活保護へ。そして断酒

そのときは3ヵ月入院しました。退院の一週間前に職場に連絡をすると、待っていてくれるという話だったのに「新しく人を雇った」と言われショックでした。けれどももう一度東京でやり直したいと思い、再び一人暮らしを始め、必死に仕事を探しました。歯科助手の経験が長いので、面接だけはすぐに通るのですが、研修期間に仕事や人間関係に適応できずやめさせられてしまうという結果の繰り返しでした。

酒を飲めばどうにかなる。そう思って飲みながら頑張りました。けれどもうまくいくはずもなく、ついに生活が立ち行かなり生活保護を申請しました。それまで仕事では生活保護のシステムに関わることがあったけれど、まさか自分がそうなるとは思ってもみませんでした。けれどももう降参でした。飲んではいけない、でも飲まない自信はまったくない。自分はもうダメだという思いでした。

福祉事務所の担当者は親身になって生活プランを考えてくれ、生活保護を受けながらまずは専門病院に入院し、それから先のことを考えていくことになりました。

退院後、昼間は摂食障害のリハビリ施設、夜は自助グループに通いました。家には寝に帰るだけでしたが、おかげで飲まない生活のペースができてきました。摂食障害の方は相変わらずだったのですが、一昨年、主治医が転勤したことをきっかけにリハビリ施設の近くの病院に通うようになり、そこで出会った新しい主治医との関係が支えになりました。

同じ女性の中に身を置くことで、たくさんのものが得られる

新しい主治医が女性だったことも私にはよかったと思います。安心することができたし、いつも「こうしなさい」ではなく「あなたはどうしたいの?」と言って私の話に耳を傾け、率直にものを言いながら一緒に考えてくれました。

依存症の治療に摂食障害も含めてもらい、主治医の勧めで2回入院しました。その後は昨年から、新しくできた女性依存症者のための通所施設に通っています。

施設に通う中で身に染みたのですが、私は女性の中に身を置くことが苦手です。勝手な思い込みや勘ぐりをしたり、他の人と比較する癖など、自分で自分を苦しめることが私の弱さだと知りました。

けれども施設の人と相談し、ときに休みながらでも時間を重ねるうち、自分の中にある逃げる癖や「こうでなければダメだ」という白黒思考や完璧主義に気づくようになりました。私は人や職場のためには「しっかりやらねば」と思い頑張りますが、それを自分のためにする必要があったのです。

今、施設での経験を通し、自分の生活を大事にすることを学んでいるように思います。それは、部屋をきちんと整理整頓するとか、ゴミをきちんと分別して出すとか、お金の使い方を学ぶこと、計画的に物事を進めることといった、本当に些細なことですが、今まで私が後回しにしてきたことです。

長い間、何でも一人でする癖がついていたので、誰かに悩みを相談するといったことはまだまだ苦手です。でも、安全な場所で時間をかけて、この年ならそれまでに気づくはずだった歩みを、遅ればせながら今進めている自分を客観的に見られることがうれしいです。

回復のカギ
●生活保護
●主治医との出会い
●リハビリ施設

※写真は本文とは関係ありません

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