回復のカギ

登り調子の会社のトップ営業マンが一転。二度の飲酒運転事故の末、連続飲酒に陥りアルコール依存症を認めた。

T・A 断酒7年(男性・53歳・医療系企業社員)

「自分が頑張らねば」「自分にしかできない」と追い立てて

私は30歳のときに医療関係の会社に転職し、営業の職につきました。検査助手の経験があったので、知識が豊富ということで会社からも顧客からも重宝がられました。当然、接待も多く、飲むことは仕事の一部だと思っていました。当時は「やむなく飲みに行く」というふりをしていましたが、今思うと自分が飲みたかったから酒席を選んでいたのかもしれません。30代後半で単身赴任をしてからは、背中に羽がはえたように毎晩飲み歩くようになりました。

会社は上り調子で吸収合併を繰り返しており、私は酒をガソリン代わりに飲んで仕事に邁進していました。上司が変わるたび、「ここは自分が頑張らねば」「これは俺にしかできない」と仕事を抱え込み、そのストレスもまた酒で発散したのです。

毎朝酒臭くても、外回りの合間にサウナに行って汗を流せばすっきりします。そんな頃、飲酒運転で交通事故を起こしました。

その日、私は迎え酒をして会社の車を運転し、路面電車の駅に激突しました。後から考えれば休日で自分が行かなくてもいいいような仕事だったのですが、「俺が行かねば」と思って出向した挙句の事故で、頭が真っ白になりました。

けが人がいなかったことは、不幸中の幸いでした。本来なら懲戒免職になるところ、会社は連日の忙しさも考慮してくれ、顛末書だけで済ませてくれました。その代わり「続けるなら転勤をしろ」と言われ、転勤を選ぶことになりました。

二度目の飲酒運転事故、禁酒、再飲酒……

転勤先ではすでに私の事故のことがうわさになっていて、人間関係がなかなか築けず孤独と挫折感に苛まれました。朝礼は出るものの、居酒屋へ行って飲むなど朝酒が習慣になりました。そして再び飲酒運転事故を起こしてしまったのです。朝酒をして高速を走っている間、眠気に襲われ、目覚めたらトンネルの壁に激突していました。

今度こそ解雇されると思いました。けれども上司は大目に見てくれただけでなく、「体のことを考えろ」と言ってくれ、温かい言葉に涙があふれました。妻は私の赴任先まで飛んできて、病院や自助グループの資料を持ってきて「断酒会かAAに入るか、離婚するか、精神病院に入院するかを選んで」と迫りました。

酒の飲み方に問題があることは明白でした。それでも、「自分はアル中」ではないと反発する気持ちがありました。当時は依存症という病を知らず、「アル中=ホームレス」というイメージを持っていて、「アル中なんてとんでもない。もし俺がアル中だったら、他の酒飲みもみなアル中だ」と頑なに否認していたのです。

酒くらい自分でやめられると思い、職場や接待の場でも「酒は飲まない」と宣言して半年ほど禁酒しました。再飲酒したのは、接待に利用していた店でウーロン茶のお代わりを頼んだとき、間違って水割りが出てきて、それを飲んでしまったことがきっかけでした。グラスを鼻先まで持っていったとき、ウイスキーの香りがしました。飲む前に返すこともできたのに、私は一口飲んだ後で「これは酒じゃないか!」と怒ったのです。

半年の禁酒が店員のせいでぶち壊しだと憤り、店を出た足で酒屋へ行きました。すぐに酒が止まらなくなり、仕事へも行けなくなりました。

職場にはメールのやりとりで営業をしているかのようにごまかしていましたが、あるとき電話で私のろれつが回っていなかったことから飲酒がばれてしまい、上司から連絡を受けた妻が赴任先に飛んできて大喧嘩になりました。私は「飲まされたんだ!」「仕事だから飲むのは仕方ない」と屁理屈をこねましたが、結局断酒会に行かざるを得なくなりました。

妻は断酒会の人と、段取りを整えていました。迎えに来てくれた断酒会の人の車が、警察の護送車のように見えました。けれども例会場に入ると、みんなが「よく来たね」とやさしく迎え入れてくれ、びっくりしました。

頑なな心が涙と共に溶けたとき

それから完全に酒が止まるまで、2年半かかりました。「違い探し」をしていたからだと思います。断酒会で体験談を聞いても、「俺はそこまでひどくない」「この人たちとは違う」と考え、自分は飲んでもやめられると思ったのです。正直、酒をやめることが怖くもありました。それまで酒ナシでは仕事も恋愛もしてこなかったし、酒を飲まなければ自分が自分でなくなるような気がしたのです。

自分を「アルコール依存症」だと認めたのは、連続飲酒に陥ってからでした。苦しくて上司に「自分はやっぱりアルコール依存症でした。会社を辞めます」と伝えました。すると上司は「酒を飲んでも飲まなくてもおまえはおまえだ。また酒をやめ続ければいい」と言ってくれ、もう少しだけがんばってみようと思い、専門クリニックの予約を入れました。

ところがいざクリニックへ行くと、「どうせこの先生も酒を飲むんだろう。そんな人にあれこれ言われたくない」という拒否感が出てきました。どうやって反発しようか考えていたら、「私も断酒会員です。依存症じゃないが、家族のために酒をやめて5年になります」と言われ、出鼻をくじかれました。医師に「例会で体験談を聴いていましたか?『きく』と書けますか?」と質問され、「聞く」と書くと「その文字は自分に都合のいい話だけを聞く文字ですよ!体験談は、耳に十四の心で聴く、この『聴く』の文字です」と言われました。「都合の悪い話には耳を門で塞ぐではなく、十四の心の耳で聴けば、自分の過去や家族の思い、そして会社の仲間に対していかにひどいことをしてきたかがわかるようになりますよ」と諭され、衝撃を受けました。涙が後から後から流れてきて、仕方ありませんでした。

酒なしで自分が変わっていく喜び

不思議なことに、それ以来、酒が止まりました。

平日は地元の断酒会例会に、週末は各地の断酒会研修会に積極的に参加し、同じ病で苦しんでいる仲間とたくさん出会いました。いつの間にか聴く耳ができてきたのでしょう、「苦しいのは自分だけじゃない」と思え、例会の大切さと仲間のありがたさを感じられるようになりました。

以前は酒なしでは仕事もできず、職場にはさんざん迷惑をかけてきたのに、断酒3年目で昇格することができたときは、本当にうれしかったです。今年で断酒7年目になり、昔はできなかったことも、いろいろできるようになりました。バイクに乗ったり、妻と山登りをしたり、勉強が嫌いだったのにいろいろな講習を受けて資格をとったりしています。そうして酒なしで変わっていく自分を自分で見つめることができる――。断酒はその喜びを教えてくれました。

回復のカギ
●上司の支え
●妻の介入
●主治医との出会い

※写真は本文とは関係ありません

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