介入のカギ

大酒飲みとは知っていたけれど、まさかこうなるとは……。幼い子どもたちを抱え、途方に暮れた日々。

Y・A(妻)

え? こんなときまで飲むの!?

夫が酒をやめて8年になります。今、私は4人の子どもたちと夫との家庭生活、仕事、断酒会で目の回るような忙しい毎日を送っています。けれどもこんなに充実した日々は、これまでありません。夫が飲んでいた頃は、こんな未来があるとは夢にも思いませんでした。

私は大学を卒業後、父が経営する工務店に就職しました。夫とは、職場結婚です。夫は知り合ったときからすでに大酒飲みで、周囲からも「若いのに一升瓶を枕代わりにしている」「仕事机の下は缶ビールでいっぱい」と言われていたほど。けれどもどんなに飲んでも翌日はすっきりした顔で出社するし、仕事もできるタイプだったので、この人は酒に溺れない人なんだと思ったことを覚えています。結婚してからも、当然のように晩酌をするので、冷蔵庫の中はいつもお酒でいっぱい。けれども仕事も一生懸命していたし、特に問題はなかったので、好きなだけ飲んでいいものだと思っていました。

え? こんなときまで飲むの? とびっくりしたのは、2回目の出産のときです。双子だったため帝王切開をして、術後に集中治療室へ移ったとき、夫がワンカップ酒を取り出して飲んだのです。病室に酒の匂いが充満し、入ってきた看護師も驚いていました。その3ヵ月後、夫は職場で倒れ、救急病院に運ばれ入院しました。γ-GTPが1000を超えていて、医師に「このまま飲み続けると死にます」と言われたのです。そこで初めて夫の飲み方は異常だったんだと自覚しました。それから「節酒の勧め」が始まりました。

「お酒は控え目に」と言うと、夫は「わかった、そうする」と言います。実際、控え目にするようになったので、よかったと思っていました。ところが、私の前で飲むのとは別に、隠れて飲んでいることがわかってきました。私が夕飯の後片付けをしているときや、風呂に入っている間に隠しておいたワンカップを飲んでいたのです。また、やたら朝早く出勤するので不審に思っていたら、会社で飲んでいたり、同僚から「ご主人、酒臭いよ」と言われ、昼休憩の間に車の中で飲んでいることが発覚したり。そのうち現場からも、夫が行っていないと連絡が来るようになりました。携帯を鳴らすと「トイレに行っていた」「資材を買いに行っていた」と理由を述べるのですが、酒の匂いをぷんぷんさせて帰宅するのです。それでも夫は「飲んでない」と言い張り、「飲んだ」「飲んでない」で大喧嘩です。ついに仕事に行かない状態になったのが32歳のときです。病欠と嘘をついて1年間休職しました。4人目の子どもができ、仕事に復帰しましたが、連続飲酒は収まらず、結局また会社をサボるようになりました。

「お母さん、愛情を持って育てていますか?」

父である社長には、夫の飲酒問題を隠し「体調が戻らないしうつで精神的にも大変で……」とごまかしていました。結婚するとき、父に「こんな酒飲みと結婚すると不幸になるからやめなさい」と言われたことが頭にあったのです。実はその父は、酒乱です。同じ大酒飲みでも、彼は父のようにちゃぶ台をひっくり返したりしないし、女遊びもしない。「お父さんの酒とは全然違う」と反対を押し切って結婚した経緯がありました。私はむしろ彼に対し、父のように酒にのまれないところを魅力に感じていました。けれども結局、大酒飲みは、それだけで問題だったのです。育った家とは違う理想の家庭を築こうと思っていたのに、現実はかけ離れたものになってしまった……。だからこそ、その事実を認めたくなかったし、誰にも知られずにいたかったのです。

職場ではみんなが夫が放り出した仕事の穴埋めをしてくれ、針のむしろでした。保育園に預けている子どもたちを迎えに行くため6時で上がるとき、「だんなが家に居るんだから迎えに行ってもらえば?そうしたら残業できるのに」と言われても、「飲酒運転になるからダメなの」とは言えない。会社の人に何か話しかけられるたび、責められ嫌味を言われているような気がして、ここに居たくないと何度も思いました。

夫は1日飲んでは寝ての繰り返しで、起きている間は私のことをよくなじっていました。アルコール依存症になると、性格が悪くなります。今思うと、夫は社長が舅ということもあって、婿養子のような肩身の狭さを感じていたのかもしれません。私の両親や親戚のことを悪く言って、私に関係するすべてが悪いと責めるのです。小学校に上がったばかりの長男に対しても、私の父に似ていると言って怒り、叩いたり蹴ったりするようになりました。そうなると、怖くて手がつけられません。かばいきれず、泣いている長男を見ながら「身代わりにさせてごめん」と心の中であやまることしかできませんでした。

そんな状態の中にいると、こっちもおかしくなります。夫が手を出さない下の双子の娘たちのことをかわいいと思えなくなっていきました。あなたが飲んで長男を泣かすなら、私はあなたがかわいがっている娘たちに冷たくする、いじめてやる、と。こんな家庭環境が、子どもたちに影響を与えないわけがありませんでした。それを思い知らされたのが、双子たちが通う保育園の先生に呼び出されたときのことです。お絵かき帳を見せられ、めくっていくと、真っ黒な絵が並んでいました。たくさんの鳥が死んで地面に落ちていたり、人が死んでいたり、殺しあっていたり。衝撃でした。

先生に「お母さん、愛情を持って育てていますか?」と言われたときは、反発する気持ちしかありませんでした。言葉にはしませんでしたが、うるさい! 私は4人の子どもと飲んだくれの夫を抱え、毎日仕事もしている。あなたもやってみなさいよ、私は精一杯やっている!と。その帰り道、車を運転しながら、もうこのまま死んでしまおうと思いました。とどまったのは、子どもたちがお腹が空いたとぐずり始めたからです。この子たちがいなかったら、私はどこへでも行けるのに……。そう思った瞬間、ふっと「私、もうダメだ」とわかりました。双子たちに問題が出ていただけでなく、長男にも円形脱毛症が出て精神科に通っている状態で、夫に離婚を申し出ても、嫌だと言われ私一人の力では離婚すらできない。このままでは本当にダメになると思ったとき、初めて助けを求める覚悟ができました。

忘れていた本来の夫の姿

それまで隠し続けてきた問題を信頼できる上司に話し、「もう一緒にいられないから、離婚したい」と相談しました。上司は驚いて、「ちょっと待て。俺があいつに話してみる」と言って、翌日、家まできてくれました。さすがに夫も飲まずに待っていて、神妙な面持ちでした。そして「おまえな、とりあえず病院に行かんか?行くか離婚するかどっちか選べ」と言う上司に対し、「病院へ行く」と答えたのです。

インターネットで調べてあったアルコール専門病棟に連絡し、すぐに予約を取りました。夫は「一人で行く」と言いましたが、無理やり一緒について行きました。「入院した方がいいですが、どうしますか?」「入院はしません」という医師と夫のやり取りを聞き、思わず「先生、入院させてください」と頼むと、「本人が承諾しないと入院はできないんですよ」と言われ、やっぱりダメかと絶望しかかりました。ところが最後には、夫は1週間だけなら入院すると決めたのです。それだけではありません。よっぽど居心地がよかったのか、1週間後に「あともう1週間居ようかな」と言い、「やっぱり最後まで入院してみるわ」となって、2ヵ月のプログラムをきっちり受けることになったのです。驚きました。

あれほど夫と離婚したいと思っていたのに、気づいたら私は毎日昼休憩に面会に行くようになっていました。特にこれといった話をするわけではありません。入院患者にこんな人がいる、あんな人がいるとか、他愛のない話です。それが不思議と楽しいのでした。それまで夫には無視されるか怒鳴られるかしかなくて、話が通じない状態が何年も続いていました。病院のベンチに座り、普通に話ができるのが新鮮でした。夫の話は面白くて、やさしくて、そうだ、本来この人はこういう人だったんだと思い出しました。

夫が入院したことで、両親にはアルコール依存症のことを話しました。「良かったね」「知ってたよ」と言われ、拍子抜けしました。それまで片意地張って必死に隠してきたのに、あの努力はなんだったんだろう?知らないと思っていたのは私だけで、周囲はとっくに気づいていたと知って、肩の力が抜けていきました。

なぜ断酒会ばかり優先するのか?

夫は退院後、2週間で仕事に復帰しました。社長と部長にすべて話し、「いさせてください」と頼んだのです。そして復帰後、最初の会議でアルコール依存症であることをカミングアウトして、「今までめちゃくちゃなことをしてきましたが、酒を断って復帰させていただきます」と挨拶をしました。夫を慕っていた後輩たちは復帰を喜んでくれ、最初は遠巻きに見ていた同僚たちも、夫が真面目に働く姿を見て次第に認めてくれるようになりました。私も職場にいやすくなり、夫の断酒も続いて、めでたし、めでたし……、とはすぐにいかないのが、この病気です。私の方にも、一山ありました。

私たち家族が経験した心の傷は、そう簡単に癒されるものではなく、長男の精神科通いも続いていたし、夫にも怯えたままでした。夫はと言えば、「君は育児に専念してください。僕は断酒に専念します」と言って断酒会通いにのめり込み、家族にはまったく目がいっていない状態。家のことは相変わらずすべて私に任せきりで、子どもたちが次々とインフルエンザになっても、看病より例会を優先するどころか、断酒会の家族の人の相談には乗ったりするので、喧嘩ばかりしていました。一度激しい喧嘩になった後、長男が「昔を思い出して、居場所がなくてつらい」と言ったことがあります。それが口に出せるようになったのはよかったことなのですが、夫が酒をやめても家庭の中が変わらないことがつらくてたまりませんでした。

こうした不満は、精神保健福祉センターの家族勉強会で話していました。「だったら、ご主人と一緒に断酒会に来てみたら?」。断酒会員の家族の人にそう言われたのは、2年ほど経ってからです。え?と思いました。断酒会は酒をやめるための会だし、私が行って何になる?ただでさえ4人の子どもを抱えて大変なのに、夫もきっと嫌がる、と。けれども「いいから、いいから、来てみて」と言われ、1回だけ出てみることにしました。そこでみんなの話に耳を傾け、夫が例会発表で「家族にすまなかった」と話すのを聞いて、心の中で何かがすとんと落ちた気がしました。

それからです。「子どものこともちゃんとするから」と言って夫の了解を得て、私も断酒会に行くようになりました。よく「例会に行くと楽になる」と聞いていたけれど、実際に体験してみて、これか!と実感しました。重かった心が軽くなっていくのです。それだけではありません。断酒会でいろいろな人の話を聞いていくうち、家族が一緒に参加することの意義もわかってきました。断酒のつらさや、一人ではやめられないという意味がわかったし、どんな声かけが嬉しいのか、つらいのかもわかった。何より、断酒を続けるには断酒会が必要なんだとわかりました。家族がそのことをわかっているだけでも、大きな支えになるのです。それ以来、夫が休日に一人で県外の例会や研修に参加するとき、「行っといで!」と心から送り出すようになりました。

家族みんなが変わった

夫の子どもに対する変化が見えてきたのは、子どもたちを連れて断酒会に通うようになってからです。特に長男に対しては、怒らないように努力しているのがわかりました。息子が何か悪いことをしても、「お父さんは怒るのを我慢してるから、言うことを聞いてね」と言うようになったのです。最初は怯えて体を縮め、夫の目を見られなかった長男も、だんだんと目を見て「うん、わかった」とうなずくようになっていきました。双子たちの絵もカラフルになり、黒で描くことがなくなりました。

もう大丈夫だと思えたのは断酒6年目、長男の小学校卒業文集を読んだときです。「僕はお父さんを尊敬してます。お父さんみたいな仕事をしたいです」と書いてありました。かつて「お母さん、この家出よう」と泣いていた長男が、いつの間にかお父さんっ子になって、こんなことを言う日が来るとは……。断酒をするとこういうことが起こるんだ、とすごく嬉しくなりました。

いちばん下の子は夫が飲んでいた頃の記憶があまりないので、断酒会を嫌がることもありました。「いつやめられるの?」と聞いてきたとき、上の子どもたちがいっせいに「一生やめないんだよ」と説明したことを思い出します。例会ではいつも後ろの方で駆けずり回って遊んでいたけれど、聞こえてくる話の中から、お父さんが酒をやめ続けるために必要なものなんだとちゃんと理解していたのでした。飲んでいた頃、子どもたちが苦しんでいたのは確かです。けれども夫が入院中に外泊して病院に帰るときは、いつも「今度はいつ帰ってくるの?」と泣いていました。子どもたちはあの頃から、本当の問題はお父さんではなく、アルコール依存症という病なんだと見分けていたのだと改めて思います。

私自身も、変わりました。そのことに気づいたのは、1年ほど前。釣り好きの長男が、出かけたきり暗くなっても帰って来なかったときです。長男の友だちの家に電話すると、その日は長男一人で釣りに行ったとのこと。捜索願を出して警察が来て、大騒ぎになりました。警察は「部屋に遺書はないですか?」「落ちて死んでいる可能性もあります」と最悪なことばかり想定するので、ますます不安になりました。ちょうどその日は断酒会で、例会の時間が迫っていました。おろおろする夫に「ここは私に任せて例会に行って!最悪なことになってもちゃんとLINEするから!」と言っている自分がいました。私の中で、断酒会がそれほど確固たるものになっていたこと、そしてこんなにも強くなっている自分に驚きました。結局、長男はそれから1時間後くらいに帰ってきて、釣りに夢中になっているうちに暗くなってしまったことがわかりました。何事もなく本当によかったです。夫にLINEしながら、断酒会ってすごいと改めて思いました。

今、私たち夫婦は、夫婦というより、同じ苦しみを経験し乗り越えてきた「同志」みたいな感じです。お互い後ろめたいことがあるとストレスになるので、嘘をつかないことがルールになっています。聞きにくいことも聞くし、話したくないことも話す。子どもたちが眠った後が私たちの時間で、いろんな話をします。こうして一緒に年をとっていきたいです。

介入のカギ
●信頼できる上司に相談したこと
●インターネットで専門病院を調べておき、「入院する」と言ってすぐに予約をとったこと

※写真は本文とは関係ありません

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