介入のカギ

夫は職場や家庭で倒れ、何度も救急搬送。その度に「酒を控える」と言うから、何とかなると思っていた。

H・S(妻)

なぜ何度も同じことが起きるのか?

もうすぐ結婚33年になります。夫は家系的にはお酒が弱い筋でしたが、結婚当初から晩酌でビールを飲んでいました。自律神経失調症で不眠があって、睡眠薬を常用しており、それをお酒と一緒に飲むことを覚えたのだと後で知りました。問題が起きてきたのは、15年くらい経ってからでした。だんだんと食べ物を受けつけなくなり、あるとき、台所で倒れたのが始まりでした。

今考えると、アルコール性てんかんだったのかもしれません。でも当時の私はそんなことは知らないので、脳出血か何かが起きたのだと思いました。夫を抱きかかえ、息子たちに「母屋のお義兄さんとお義姉さんを呼んできて!!」と叫んだことを覚えています。2人が駆けつけてきて、一緒になって夫の名前を呼んでも意識が戻らず、もうダメかと思いました。結局、夫は「急性肝機能障害」と診断され、10日間の入院。けれども、それがどういうものなのか、何に注意すればいいのかという家族に対する医師からの説明は何もありませんでした。

夫は「酒は飲めないな」と言っていて、私もその通りだと思い、しばらくは晩酌を出さないようにしていました。けれどもお互い「喉元過ぎれば」で、いつの間にか元に戻っていたどころか、ひどいことになっていきました。職場から「車を降りた瞬間に倒れた」と連絡があり、病院へ行くとお酒の匂いをさせ大いびきで寝ていたこともあります。夫は公務員で、真面目な性格で「飲酒運転などもってのほか」と言っていたのに、自らが飲酒運転をしていたのです。ショックでした。このままではまた飲んでしまうと思い、先生に「どうか一週間でいいから入院させてください」と頼みましたが、「本人の意思があるので無理やり入院させることはできません」と言われ、点滴で終わりでした。

その翌年も家の中で倒れ、心配なので、夫が昔から受診している自律神経失調症の主治医の診察に無理やりついて行きました。主治医にあれこれ説明し、「毎年のように救急車を呼んで、奥さんも大変だったね」と言われたときは涙が出ました。そのとき、「もしお酒のことで困ったら、こういう病院があるよ」と連絡先を教えてくれたのが、アルコールの専門病院でした。けれどもそこに行くまでは、数年かかりました。夫はうんと言わないし、私だけではそこまで必要なのかどうかの判断ができなかったからです。

その理由の一つには、夫にお酒を控えようとする姿勢が見られたことがありました。それからも何度か救急車で運ばれましたが、病院で点滴を受けている間、γ-GTPの数値など職場での健康診断の結果を医師に伝え、相談したりするのです。私がお酒のことをしつこく言うと怒るし、夫も控えようとしているのだから、病気ではないと思っていたのです。

「ご主人は札付きです。意志が弱いんじゃないですか?」

ところが、「控える」という夫に従ってお酒を出さないと、夜中にこっそり買いに行くようになりました。玄関に仁王立ちして、帰ってきた夫に「買わないって言ったじゃないの!」と怒り、怒鳴られることの繰り返し。それでもこっそり出かけて危ないので、2人で話し合って「缶ビール350mlを1日4本まで。日曜はもっと少なく」と飲んでいい本数を決め、「量を守りましょう」とカレンダーに書いて台所に貼りましたが、それが守られることはなかったのです。こっそり買いに行ったり、かばんの中に隠し持っていたり。飲酒運転も常習で、車庫入れのときにあちこちぶつけてバックガラスも割れる有様でした。

夜中に飲んで倒れることもしょっちゅうになり、酔った声で「来てくれぇ」と呼ばれるのにもうんざりしていました。その日、私はついに布団を被ったまま寝たふりをしました。1時か2時頃だったと思います。しばらくたって次男が部屋に来て、「お母さん、大丈夫だから。びっくりしないで」と言って私をトイレの方に連れて行きました。するとあたりは血だらけで、頭をタオルで抑えた夫が座っていました。

夫はそれからも仕事へ行きましたが、私は上司から「仕事に来られてもお酒の匂いがして困る。匂いがしていないときだけ仕事に来させるようにしてください」と言われてしまいました。匂いがしない日なんて、ありません。でも仕事に行こうとする夫をどうすれば止められるのかわからず、せめて飲酒運転をしないように私が送り迎えをすることにしました。職場に行けば、その間は飲まないだろうというはかない希望にかけたのです。結局、上司に「奥さん、鼻がおかしくなっていませんか」と責められ、だってどうしようもないんです!という言葉を飲み込むしかありませんでした。

新年度になり夫は異動させられ、仕事に行けない日が多くなりました。ついに私が上司に呼び出され、険しい表情の人たちが4、5人並んでいる前で「言いにくいが、ご主人は札付きの休みの常習犯で、このままだともう居場所がありません。意志が弱いんじゃありませんか?」と通告されました。アルコール依存症のことを学んだ今なら、「意志の問題ではなく、病気なんです!」と言えたと思います。そのときはただただあやまることしかできず、悔しかったです。

夫が自ら「入院する」と言って専門病院に行くことを決めたのは、それからしばらくしてからでした。たぶん、夫も夫なりに危機感を感じていたのでしょう。やっとその気になってくれたとホッとしたのもつかの間、「これが最後になるかもしれないから、焼酎とビールを買ってきてくれ」と言われたときは葛藤しました。もし買って来ないと、「やっぱり行かない」と言い出すのではないかと思ったのです。それが怖くて言われた通り買ってくると、夫は一気に飲み干して寝てしまいました。翌日、無事病院に着いたときは、本当にホッとしました。2011年のことです。

断酒会のことを知ったのは、受付で入院手続きをしているときでした。主治医となる先生が近寄ってきて、「今日、あなたの地区の断酒会の人が来てるんだけど」と言って、会長さんを紹介してくれたのです。そんなものがあるんだと驚きました。会長さんは、「これは後でご主人にもあげるんですけどね」と言いながら、いくつか資料をくれました。その中にあった「依存症は家族ぐるみの病気です」という言葉に目が釘付けになりました。まさにその通りだ、これは家族全体の問題だ、と。どんなに夫をコントロールしようとしても、私ではどうにもならない。会長さんは「ご主人は病院に任せましょう。奥さんだけでもぜひ断酒会に来てください」と言ってくれ、それから例会に通うようになりました。

私は自分の意見を言ってもいいんだ

断酒会に行くと、みんなが話を聴いてくれ、重たかった心の不安や痛みが一つ一つ取れていくような気がしました。夫にも、退院したら一緒に行ってもらいたいと心から思いました。けれども夫は、「あんなとこは行きたくない」と一喝。とりあえず退院後はお酒をやめていたので、私だけが行くわけにいかず、もう例会は行けないのかと落ち込みました。ところが……。

2、3ヵ月経ったある日のことです。バタバタと洗濯物を取りこんでいたら、夫が近づいてきました。そして唐突に、「あなたがしてもらっていちばん嬉しいことは何?」と聞いてきたのです。何事だろうとびっくりしましたが「私は断酒会に行きたいの!」と即答しました。以来、夫は私と断酒会に出席するようになり、仕事も続けられることになったのです。思いもしない展開でした。

夫は入院生活や主治医との面接でいろいろ言われ、自分なりにどうすればいいのか考えていたようです。今思うと、ああいう夫が、たぶん本来の夫の姿なんだと思います。飲むと言葉がきつくなり、私は何年も怯えて過ごしていましたが、本当はやさしく、真面目すぎるくらい真面目な人だったのです。

と言っても、長年の夫に対する恐れや嫌な感情はすぐに消えるものではなく、夫も断酒会に通うようになったからといってすぐに安定したわけではありませんでした。些細なことで長男と大喧嘩をして、「酒買って来い!こんな家にはおれん!」と叫んだこともあります。私が必死になって「断酒会の人の顔を思い浮かべて!あそこに○○さんが座ってたでしょ?その隣に○○さんがいたでしょう?」と言うと、夫は思いとどまりましたが、そうやって何かあると脅しをかけてくるのがとても嫌でした。

夫は言葉で威圧して私を思い通りにしようとし、私もそれに屈してしまうことの繰り返だったので、2人の息子たちにはずいぶん負担をかけたと思います。「お母さんを泣かすな」とよく私をかばってくれたし、いろいろ慰めてくれました。当時はありがたいと思っていたけれど、断酒会に通う中で、だんだんと「このままではだめだ。強くならねば」と感じるようになりました。夫は「おまえと俺は対等じゃない」と言っていましたが、嫌なものは嫌、おかしいと思ったことはおかしいと言いたい。自分を主張したい。離婚を考えたこともありましたが、自分で選んだ人だし、もう少しがんばってみようと思ったのです。

一昨年の夏、親戚に不幸があり集まったとき、兄から「あいつ(夫)はヘビースモーカーだな」と言われました。私もタバコは嫌だと思っていたので、後で夫に「お兄さんが心配してたよ」と伝えると、「酒を我慢してるのにタバコまで言われるのか。そんなんだったら飲むぞ!」と返されました。いつもだったら、そこで私はシュンとして何も言えなくなるのですが、思い切って「あなた、それ私を脅してるの?」と言ってみました。夫は驚いた様子で、それきり黙りました。本当は「私はタバコが嫌なの」と言えればよかったのですが、まずは大きな第一歩です。そんなふうにして、少しずつ、自分の意見や気持ちを言えるようになっていきました。

変化は連鎖していく

今年の私の目標は、「強くなること」と「プラス思考で考えること」です。何か困ったことが起きても、それにとらわれず、いい面を考えられるようになりたいのです。先日、例会に行く前に、夫が「歯が取れた」と訴えてきました。「俺はついていない。なぜ取れるんだ」と文句を言うのです。「そんなこと言ったら本当に運がつきるよ。昼間でよかったね。歯医者さんやってるから、とにかく行こう」と言えて、2人で歯医者に行って処置してもらい、例会にも遅刻せずに参加することができました。この感じだ!と思いました。

断酒会は本人がお酒をやめ続けるための会であるだけでなく、家族にも大きな変化をもたらします。私は自分の意見が言えるようになってきただけでなく、断酒会の行事やいろいろな研修会に参加していくうちに、「楽しいことを計画して即実行する」というフットワークの軽さも身についてきたように思います。最近では、断酒会の仲間とカラオケも楽しむようになりました。夫は「俺は行かん」と言っていたのですが、「私は行く!」と1人で行くうち、夫も「俺も行く」と参加するようになりました。

歌うととてもすっきりして、ちょっと疲れていても、エネルギーが戻ってくる気がします。楽しさは、伝染するのかもしれません。私は断酒会の家族の仲間のいろいろ大変なことがありながらも明るく生きる姿を見て、自分もそうなりたいと思ってがんばってきました。同じように、私が明るくなれば、それはきっと夫にも伝染する。以前のように受け身で考え「そんなこと無理だ」と思ったり、夫を変えようとしたりするのではなく、私自身が楽しむことが大切なんだと改めて思います。

介入のカギ
●自律神経失調症の主治医が専門病院の連絡先を教えてくれていたこと
●トイレで倒れて血を流したこと
●職場の圧力

※写真は本文とは関係ありません

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