介入のカギ

アルコールだけでなく処方薬にまで依存。人が変わり、何度も救急搬送され、おかしいと思った。

M(妻・●歳)

外国人だから大酒のみなの?

あのやさしかった人が何で……?夫が初めて私に暴力をふるったときは、信じられない思いでした。8年前のことです。

夫はつきあっていた頃から、よく酒を飲む人でした。飲むと陽気になって楽しいのですが、適当なところでやめられず、2晩飲み続けて会社を休んだり、ひどいときは1週間くらい寝込んだこともありました。夫とは、イギリスで出会いました。イギリス人なので、当時は「外国の人は体質が違うから飲み方も違うのかな」くらいにしか考えていませんでした。

ところが日本で一緒に暮らすようになってから、様子が変わってきました。飲みすぎて会社を遅刻したり休んだりし、「もう無理だ」と言って職を転々とするようになったのです。最初は言葉も分からない国に来て大変なんだろうと考え、気遣ったり励ましたりしていました。けれどもだんだんと、これはお酒の問題ではないかと確信していきました。

何とかやめさせなければと思い、夫が買ってきた酒を捨てたり、お金を渡すのをやめたりしました。すると怒ってケンカになり、私が寝た後にこっそり飲むようになったのです。 朝になると私は仕事に行くのですが、夫は寝たままです。その後、起きて飲むようで、私の仕事中に酔っ払って電話をしてくるようになりました。「あれはどこにある」「これはどうした」など些細なことなのですが、ちゃんと答えないと10分おきくらいに電話してくるのです。仕事をしていても飲んで大変なことになっているのではないかと不安でたまりませんでした。

夫も自分の状態に不安を覚えたようで、「酒をやめる薬があると思うので病院を探してほしい」と言いました。インターネットで検索すると専門病院があることがわかり、電話で「外国人なんですが対応してもらえますか」と聞くと通訳がいるならOKと言われたので、さっそく連れて行きました。

ところが、夫はそこで「アルコール依存症」と診断されたものの、抗酒剤と向精神薬を処方されただけで、あっさりと診察が終わってしまいました。もっと何か他にあるのでは?今後のこととか話し合わなくていいの?と思いましたが、うまく伝えることができず、そのまま帰りました。

激変していく夫

それから半年くらいは、地獄のような日々でした。夫は抗酒剤を服用しながら飲酒を続け、飲んでは吐くことを繰り返したのです。それどころか、知らない病院から「ご主人が薬局で暴れて警察を呼ぶ事態になりました」と連絡がきました。夫は専門病院でもらった向精神薬にも依存してしまったらしく、言葉もわからないのに他の病院に飛び込み、強引に薬を処方してもらっていたのでした。

夫婦ケンカが絶えなくなり、夫は暴力をふるうようになりました。「自分では止めれないから警察を呼べ!」と言いながら脅されたこともあります。警察に連絡すると来てくれて、「一緒に居たらまずいので今日はこのまま他へ行ってください」と言われ、妹のところに避難しました。次の日に夫から「すまなかった、もう絶対しないから」と何度も電話が入り、戻るとまた同じことの繰り返しになるのです。

夫は薬局で暴れたり、夜中に自分で救急車を呼んで薬を出せと暴れたり。私への暴力もエスカレートして、肋骨や手の骨を骨折しました。それでも私は仕事だけは行っていて、今思うとなぜ乗り切れたのだろうと思います。妹には世話になったので少しだけ事情を話しましたが、誰かに相談するという発想もありませんでした。なぜこんなことになっているのか、私自身わからないのに、誰かに言ってもしょうがない。何と説明したらいいかわからない。話してもきっとわかってもらえない。そう思っていたのです。

ついに母に相談をしたのは、夫が胸膜炎や心膜炎で緊急入院を繰り返したからです。検査をしても原因が特定できず、少しよくなって退院するとまた発症するのです。叔父が内科医をしているので、思い切って母を通し聞いてもらったのです。すると「もしかしたら精神薬が関係しているかもしれない」との返事でした。まさか処方薬でそんなことが起きるなんて、考えもしませんでした。

しかし夫の主治医に伝えると、「それは関係ない」と言われたので、見切りをつけて叔父を頼ることにしました。夫を強制的に退院させ、その足で他県にある叔父の病院へ行きました。これできっと大丈夫だ、叔父や母がついていてくれる、何とかなる……。嵐のような日々の中、初めて少し肩の荷が下りたような気がしました。

「AA(アルコホーリクス・アノニマス、自助グループ)というところへ行ってみようと思う」

2週間の入院で夫の状態は回復し、薬の量を減らして退院となりました。その1ヵ月後に再び発症し、地元の病院に入院しましたが、夫は徐々に落ち着きを取り戻し、酒も飲まず暴力もピタリと止まりました。

夫が自ら自助グループにつながったのは、それから半年くらい経ったときでした。夫が1人でイギリスに一時帰国した後、「AAというところへ行ってみようと思う」と言ったのです。イギリスにいる間、飲んで大暴れしたということで、それを聞いたときは正直、自分がその場にいなくてよかったと思いました。ラッキーだったのは、たまたま彼の叔母さんがAA メンバーだったことです。以前から「自助グループへ行ったほうがいい」と勧められており、それで決心がついたそうです。

私は当時、AAがどんなところか知りませんでしたが、夫が酒をやめるために何かしようとするのは大歓迎でした。夫が初めてAAに参加して帰宅したときの様子を、今も鮮明に覚えています。「すごいとこを見つけた! 自分と同じようなことを思っている人がこんなにいるんだと驚いた!」と目を輝かせていました。

幸いにも、私たちの住む地域から行ける英語のミーティング会場はいくつかありました。夫は自分でスケジュールを組み、いそいそと出かけていくようになりました。そしてある日、「君も家族の自助グループへと行ってほしい」と言われたのです。

それを聞いたとき、何で私まで行くの?と思いました。問題があるのは夫だけで、私は違う、と。けれども何度も言われるので、仕方なく行ってみました。すると、あれ?興味深いかも……。それが第一印象でした。アルコール依存症者をどう扱うかを話す場だと思っていたのに、ミーティングの参加者は自分の話をしていたのです。共感が持てることばかりで、また来週も来ようという気持ちになりました。

「私が面倒をみなければ」と思っていたけれど

お互い別々の自助グループに通うようになり、わかったことがいくつかあります。一つは、「私さえがんばれば夫の問題を解決できる」という発想が間違っていたということです。私はもともと誰かに助けを求めるのが苦手です。夫の問題についても、相当なプレッシャーを抱えながらもぎりぎりになるまで相談しませんでした。「私が何とかしなきゃ」と思っていたからです。

イギリスに居た頃の夫は、何でもよく知っていて、スマートで、頼りがいのある男性に見えました。ところが日本に来てみたら、言葉ができないためどこへ行くのも何をするにも私が必要で、まるで大きな赤ん坊を抱えてしまったような感じでした。依存症に対してもその延長で、何から何まで私が面倒を見なければいけないと思っていたけれど、AAに通うことで落ち着いていく夫を見ていたら、私が助けなくても夫は夫でやっていくんだと感じるようになりました。

かつてイギリスに居た頃のような、頼りがいのある男性でいてほしいという思いから、「男なんだからちゃんと稼いできてほしい」「夫なんだから一家の大黒柱になってほしい」と夫のことを責めてきましたが、夫はそういう私をプレッシャーに感じていた部分もあったのではないかと思います。

夫婦で自助グループに通っていると、共通の言語や指針が持てるからか、いろいろなものごとがスムーズになりました。たとえば夫は思った以上に完ぺき主義者で、周りから見たら「これでいいじゃん」と思うようなことでもこだわります。プロジェクターの画面の映りが一部薄くなっていたときも、今までなら何とか修正したいとこだわっていました。でも、「これはもう仕方がないんじゃないかな」と言うと、「そうだね、変えられないものは受け入れるしかないね」で終わるのです。私も以前なら、何とかしなきゃと思って直す方法や詳しい友人を探すことに必死になっていたでしょう。

考えると、かつての私たちは、お互いの要求を押しつけるだけで、会話をしているようでしていなかったのかもしれないと思います。今、ちょっとしたすれ違いでケンカをするときもあるけれど、そうなっても以前のように長引かなくなりました。お互い決定的な亀裂を避けようとしているのがわかり、相手を尊重できるようになってきたのかなと思います。

介入のカギ
●思い切って身内に相談したこと
●家族の前で夫が暴れたこと
●叔母が自助グループのメンバーだったこと

※写真は本文とは関係ありません