介入のカギ

「このままではまずい」と同僚から連絡があり、病院を探してうつと診断。別居が断酒のきっかけになった。

H・K(妻・54歳)

夫が死んでしまったらどうしよう?

夫とは、学生時代に知り合いました。当時からお酒に強い人だなと思っていましたが、まさか後にそれが問題になるとは……。結婚後は二人の子どもをもうけ、夫もよくかわいがっていたし、何の問題もない普通の家庭だと思っていたのです。

夫は頑固で責任感の強い人です。仕事でストレスを抱えているのは知っていました。健康診断の結果で肝機能の数値が悪く「要治療」と書かれていたのは、12、3年前、40代半ばに差し掛かる頃でした。痛風が出るなど体のあちこちが悪くなり、「お酒は控えた方がいいんじゃない?」と言うと、夫は「わかった」と言うのですが、一向に酒をやめないのです。体のことが心配で内科病院へ行くことを勧めました。

ところが今思うと、「休肝日を設けましょう」と言われるのが嫌だったのでしょう。夫は痛みが耐え切れなくなるまで病院へは行かず、行っても定期的に通いませんでした。私が何度も勧めると、夫は私が子どもの送り迎えをしたり入浴している間に隠れて飲むようになりました。それどころか、私は昼間仕事をしていたため最初は気づかなかったのですが、夫は仕事を早退したり休んだりもしていたのです。

私は子どもの頃に両親が喧嘩をする姿を見て育ったので、自分がそうなるのは嫌でした。だからそれまでは夫に言いたいことがあっても、夫が不機嫌になるとつい取り繕ってしまい、胸の中に思いを溜め込んでいました。でもそれは逆効果でした。

大きな喧嘩に発展したのは8年前。そのとき、夫は「さようなら」と言って、私の目の前で2階の窓から飛び降りたのです。子どもが駆け寄ってきて、「お母さんは悪くないからね!」と言って救急車を呼んでくれましたが、私は放心状態。救急隊員の人に「ご主人はお酒は入ってますか」と聞かれ、「はい」と答えるのが精一杯でした。

幸いなことに、夫は下の屋根にバウンドして落ちたので大事には至らずすぐに退院となりました。けれどもそれ以来、いろいろな不安が抑えきれなくなりました。夫はこれからどうなるのか?またこんなことが起きたらどうしよう。子どもたちの教育にもお金がかかる時期だし、自宅のローンも残っている。こんな状態になっていることが会社にバレたらどうなってしまうのか……?

私が何とかしなきゃと思えば思うほど、言い争いが増え、夫の酒もひどくなりました。夫婦喧嘩の喧嘩の原因が、ほとんど酒であると気づくようになりました。ついにあるとき夫に「死ねばいい」と言ってしまい、怒った夫が私の首に手をかけてきたとき、もう自分の手には負えないとわかりました。

インターネットでアルコールの専門病院を探し、相談に行きました。これで何とかなると期待しました。けれどもよく話を聞いてくれたものの、結局どうすれば夫を断酒させることができるのかよくわかりませんでした。

夫の同僚から「無断欠勤はまずい。休むのなら病院へ行って診断書をもらった方がいい」と連絡が来たのは、それからすぐのことです。とにかく病院へ連れて行かねばと思い、予約なしで受けつけてくれる精神科を手当たり次第探しました。そこでの夫の診断名は「うつ」。3ヵ月の自宅療養となりました。3年前のことです。

「断酒するか、別居するか選んでください」

ところが夫は数日もすると元気になって、いそいそと自分の趣味の集まりなどに出かけるようになりました。今思えばアルコールが体から抜けて元気になったからですが、当時の私はまだ依存症という病気をよく理解していませんでした。先生がうつと言うからには、夫はうつなんだろう。でも、会社を休んでいるのにこんなに出かけていいの?そう思っても、うつならば責めてはいけないのではと戸惑う日々でした。

3週間ほど経って、産業医と総務の人が訪ねてきて「アルコールの問題もありますので、そちらの方もきちんと治してください」と言われたときは、やっぱりこれは酒の問題なんだと思い涙が出てきました。後で知ったのですが、アルコール依存症について知識のある夫の上司が、このことを伝えるために2人を派遣してくださったそうです。

夫はしぶしぶ断酒を始めましたが、家族に当たることも多く、私は神経が磨り減り体調を崩してしまいました。私が断酒会に通うようになったのは、夫が職場復帰し再飲酒してからです。飲んでずるずると会社を休むようになったことを話すと、「入院させた方がいい。奥さんも何か行動を起こさないと」と勧められました。

そんな中、夜に夫の上司から「ご主人は帰っていますか?」と連絡がありました。「産業医と総務の人が来てから家庭がバラバラになった。後はよろしく」と自殺をほのめかすメールが届いたそうです。夫は夜遅く酔って帰ってきましたが、このことをきっかけに私も覚悟を決めました。

しばらくして、「酔っているあなたの顔を見たくないのでホテルに行きます」とメモを残し1日家を空けました。夫に私は限界なのだと気づいてもらうためでした。夫は慌てたらしく、自分は実家に帰って「さようなら」というメールを送ったりしてきました。

上司の「彼は専門病院に入院した方がいい。私が勧める。その間、給料も出るようにするから」という後押しもあって、夫に入院を勧めましたが、なかなか承諾せず、夫は都合が悪くなると実家の両親に助けを求めることを繰り返しました。

夫が何度目かに実家へ帰ったとき、子どもたちとも話し合しあって、ついに「断酒会に入会するか入院をしないなら戻ってこないでください」と伝えました。夫の両親は「家族が冷たいからではないか?ちょっとくらいなら飲んでもいいじゃないか」と言いましたが、「うちにはもう他の選択肢はありません」とはっきり言ったのです。10日後に、夫は断酒会に行くことを決めました。

自分の気持ちを伝えてもいい

それから数ヵ月の間、夫は断酒会に通いながらも、2回専門病院に入院しました。1回目は外出時に飲んで強制退院。2回目は、「酔ったあなたを見るのはもう嫌。私と子どもが家を出るか、あなたが家を出るかにしてください」と迫ったからです。

夫は再入院することを選びましたが、別居したいという気持ちは変わりませんでした。家族に対する暴言もひどかったし、もう限界だったのです。そうして退院後、夫は1人でアパート暮らしをすることになりました。

経済的なことも含め問題は山積みのままでしたが、別居をしたことで気持ちが楽になりました。それは子どもたちも同じだったと思います。アパートの契約が切れる3ヵ月目に同居の話が出ましたが、「戻るのはもう少し待って欲しい」という子どもの意見もあって翌年まで期間を延長。その間、夫と顔を合わせるのは断酒会例会と断酒会の人が同席してくれた話し合いの場くらいで、私もこの問題について少し冷静に見ることができました。

夫はときどき死をほのめかすメールをしてきたり、飲んで一時はひどい状態になったようです。けれども断酒会の人の支えもあって、最終的には「もう1度やり直すから」と言って通院し、会社もきちんと行くようになり、これまでとは少し違うと感じられたので再び一緒に暮らすことを決めました。本当は離婚届まで書いていたのに、そうしなかったのは、断酒会の先輩が「離婚という手段は最後までとっておいた方がいいんじゃない?」と言って支えてくれたからです。私も家族がバラバラになるのを望んでいたわけではないし、思い返せば夫も昔はやさしい人だったのです。

同居を始めた当初は、また飲んでしまうのではないかと怖くて腫れ物に触るような感じでした。時に不安に押しつぶされそうになりながらも、週一回の断酒会例会に行って気持ちを新たにする繰り返しでした。私と同じような苦労をしてきた家族の話に共感し、他人を思いやる気持ちのある断酒者の姿を見て、いつか夫もこうなってくれるのかなという希望をもらう。そうすると、もうちょっとがんばってみようという勇気がわいてくるのです。

今、夫は少しずつ穏やかになってきています。夫も気を遣っているのか、家の手伝いを進んでしてくれ、いつの間にか子どもたちにも「お父さんとお母さん、ケンカしなくなったよね」と言われるようになりました。私は以前と比べ、自分の気持ちを伝えられるようになっています。以前は何が不満があるとき、「何でやってくれないの」という言い方になっていましたが、「こうしてほしい」と言えばやってくれることがわかったし、普通に話せばコミュニケーションはうまくいくんだと実感しました。家族にも笑い声が戻ってきたことを何より嬉しく思います。

とりあえず今は、この穏やかな生活を1日でも長く続けたいと思っています。と同時に、こうして過去をふり返り、アルコール依存症について正しく理解することは本当に大事だなと改めて思います。夫が飲んでいた頃は、この人は酒をやめる気などないんだと思っていましたが、本当はやめたい気持ちもあったのだと今はわかります。家族はそのことを知らないと、どんどん病気に巻き込まれて心がバラバラになってしまう。だから同じように苦しんでいる人がいたら、ぜひアルコール依存症について知ってもらいたいと思います。

介入のカギ
●依存症に詳しい上司の協力
●「酔ったあなたを見るのは嫌。
断酒か別居を選んで」と伝えた
●断酒会の人たちの支え

※写真は本文とは関係ありません

家族の一覧へもどる