介入のカギ

知り合いに「何とかしないと」と言われ、病院に相談。その後、二男と三男は断酒会につながった。

A・A(母親・66歳・自営業)

なぜこの子だけ酒に問題があるのか?

私は三人の息子の母親です。二男が断酒会で酒をやめ、10年になります。その後、三男も断酒会員になりました。

うちは自営業を営んでおり、家族ぐるみで生計を立ててきました。休みがとれる正月には酒を飲むのが習慣で、それが唯一の楽しみでもありました。夫は高校時代に父を亡くし、親子で酒を酌み交わしたことがないので、息子たちが大きくなると嬉しそうに酒を勧めたものです。今の時代なら未成年に酒を勧めるなんてと言われるでしょうが、当時このあたりの土地はそれが普通だったし、私も違和感を感じていなかったのです。

ですから、二男が大学へ進学して一人暮らしを始めたときも、酒のことが問題になるとは思ってもみませんでした。二男の友人から「酒の飲み方がちょっと変だと思う」と言われても、一人暮らしの様子はわからないし、最初は「そうかしら?」と思うくらいでした。

けれども家に帰ってくるたび、気をつけてみると、確かに大量に飲むし酒に執着があるような感じでした。大学の友人を連れて帰ってきたときなど、突然出て行ったかと思うと帰ってきて、玄関の前で「俺は平将門じゃ!」と言ってバタンと倒れたりしました。翌日に聞くと何も覚えていないのです。

心配になって、二男と一緒に市内のクリニックに行ったことがあります。先生には「飲みすぎるのは若いときにはよくあることですよ。毎日飲むわけじゃないし、週2、3回くらいなら大丈夫ですよ」と言われました。

二男はその後も一人で診察に行きましたが、あるとき飲んで行ったらしく、「先生に酒臭いからもう来るなと言われた」と言ってそれ以来行くのをやめてしまいました。私は依存症という言葉を知って本を読んだりしましたが、二男は飲んでも暴れるわけでもなく、大学も行っていたようなので、それが二男に当てはまるのかどうか自信が持てませんでした。

大学卒業後に家に戻り、ホテル勤務を始めたときは、「新しい環境になるからこれを機に飲まないようにしてみれば?」と勧めると「そうだな、そうする」と答えました。しばらくやめていましたが、夜勤のときに断わりきれず飲むようになったようで、結局、仕事が続かず1年で辞めることになりました。

その後、再就職先が遠方だったため二男は自立しましたが、職場から「来ていない」と連絡があり、探しに行くと部屋で倒れていたりしました。仕事も長く続かず、転職しては辞める繰り返しになりました。

みんな同じように酒を飲んできたのに、なぜ二男だけが酒をセーブできないのか?週末ごとに帰ってくる二男に対し、発言力のある長男は「1滴も飲むな」と言いました。でも休日には酒を飲む習慣のある家なので、私は矛盾を感じたし、それでは二男がかわいそうだと思う気持ちもあって葛藤しました。

せめて酒量を減らしてほしいと思い、財布を取り上げて1週間分の生活費と交通費だけを渡すようにしたこともあります。家の中の酒置き場にカギをかけたり、飲んだらわかるよう一升瓶にマジックで線を引いて量をチェックしたりもしました。それでも二男は酒を飲んでしまうのです。誰かに相談したいと思いながら、狭い土地なので世間体も気になり、誰にも相談できないまま10年近く時間だけが過ぎていきました。

兄弟でもみ合いになった後で

転機が訪れたのはある週末、家族ぐるみでつきあってる家の娘さんが遊びに来たとき、二男を見て「あの感じ、うちの患者さんと同じだよ。何とかしないと」と言ったことです。彼女は看護師で、二男と同じような状態の人をたくさん見ているというのです。

「私の知り合いと話してみない?」と言われ、彼女の上司(看護長さん)に会いに行きました。アルコール依存症について聞かされ、「息子さんを飲める状態にしているお母さんも病気ですよ」と言われ、自分が足元から崩れるようなショックを受けました。

商売をしながら3人の息子を育ててきたけれど、私の子育てが間違っていたのか?二男に甘すぎたのだろうか?かつて二男が小学生だった頃、知り合いに「真ん中の子は放って置かれがちなのでちゃんと目をかけた方がいい」と言われてからというもの、私は二男らの頼まれごとにできる限り応えたし、身の回りのこともこまごまと世話をしてきたのです。それが飲み続けることができる手助けになっていたとは思いもよりませんでした。

数日後、二男は「1回だけなら」と言ってその人に会いましたが、病院へ行く気はなさそうでした。ついに二男と長男がぶつかったのは、その週末のことです。殴り合いになり、悪夢のようでした。けれどもそのことがきっかけで、二男は酒をやめる気になったようです。食事のとき、ぽつりと「断酒会というのに行ってみようかな」と言い、これでやっといい方向へ行くのかも知れないと希望を感じました。

こうして断酒会に参加して以来、二男は一滴も酒を飲んでいません。「酒を飲んだときの自分が嫌だから飲まない」と言って、今年で断酒10年になります。私もずっと例会に参加していますが、最初はこんなところで酒がやめられるのかと半信半疑でした。けれども通う中で、私は回復を信じることを学びました。それは三男に対しても同じでした。

嵐の後で

三男が断酒会に入会したのは、二男が断酒3年目のときでした。三男は毎日飲むわけではないけれど、不安定なところがあり、ときどき酒乱のようになって警察のやっかいになることや自殺未遂を繰り返すようになっていました。その年の大晦日、三男が暴れていると連絡があり、長男が迎えに行って、やはりもみ合いになり長男は肋骨が折るケガを負いました。その後、長男に「おまえも断酒会に行って酒をやめろ」と説得され、三男も断酒会へ行くことを決めたのです。

最初の頃は長男も断酒会に参加してくれていたので、二男、三男、私の4人で例会に参加した時期もありました。長男には本当に助けられたと思います。

二男はその後、心境の変化があったようで、知的障がい者の施設に就職し、今は精神保健福祉士として働いています。三男も断酒を継続。うつ状態が出たりしてなかなか状態は安定しませんが、以前と比べ穏やかな日々を過ごすことができています。

二男、三男の飲酒問題を通して感じたのは、子育ての難しさです。親としては3人を精一杯平等に育ててきたつもりですが、息子たちの感じ方はそれぞれ違ったようです。長男、二男、三男とそれぞれ思うところがあって、親として至らぬところがあったと反省する一方、それでも育ってくれたことがうれしいし、今も親子で話すことができるのがありがたいです。

今、二男はときどき冗談で「おふくろが死んだら飲むよ」と言うことがあります。「そんなことしたら化けて出るからね」と笑います。アルコール依存症という病気は決して油断ならないものだけれど、今は安心して笑い合えます。これも例会に参加し続けているおかげ。家族も参加することの大切さを改めて感じます。

これからは、息子たちとは一歩距離を置きつつ、見守っていきたいと思います。商売は相変わらず大変ですが、70歳になる頃には、ずっとやってみたいと思っていたピアノが習えればいいなと思っています。

介入のカギ
●知り合いの看護師が「何とかしないと」と受診を勧めてくれた
●家族がまず病院で相談した
●兄弟でのケンカの後、酒をやめる気になり、断酒会に参加することとなった

※写真は本文とは関係ありません

家族の一覧へもどる