介入のカギ

アルコール依存症家庭で育った私が結婚したのは、酒と暴力の問題がある夫だった。

S.S(妻・54歳・塾講師)

夫が飲んで私を責めるのは、私が悪いからだと思っていた

夫が週末に深酒をするようになったのは10年ほど前、40代半ば頃からです。金曜の夜に飲み始め土曜も一日飲んでいる状態で、やがて日曜も飲むようになりました。

夫は糖尿病のほかいくつか持病を持っており、5年前には腎臓がんで手術もしました。体のことが心配で「お酒を控えた方がいいんじゃない?」と言うと、夫は「そうだな」と答えるのですが、やっぱり週末のたびにまた深酒になるのです。

夫の診察について行ったとき、主治医に「お酒を飲んで大丈夫なんでしょうか?」と聞いてみました。「関係ありません」と言われてからは、「先生は酒は関係がないと言った」というのが飲む口実になっていきました。

そして3年前、ついに月曜になっても酒が抜けず、会社を休むようになったのです。そうなってようやく「この人は依存症になっている」と気づきました。父もそうだった、父と同じだ、と。

実は私の父もアルコール依存症です。今は断酒20年ほどになりますが、一時はひどい状態で、必死に動いて父を治療に結びつけた経緯があります。

けれども夫の飲酒に対しては、私はどこか踏み込めずにいました。身近にアルコール依存症という病気があって、父の依存が進行するプロセスも見てきたのに、夫の飲酒に関しては、なぜこうなるまで依存症という視点で見られなかったのか?

今思うと、多分、理由は2つあります。

一つは、母のようにはなりたくなかったこと。母は父の酒がそれほどひどくなかった頃から、「なぜ飲むのか」といつも父を責めていました。両親はケンカを繰り返し、子どもの私はその姿に傷ついてきました。だから夫の酒が多少心配でも、私が文句を言ったり酒のことを管理しようとしたら、同じことになってしまう。それだけは嫌だ。私が母のようにならなければ、夫も父のようにはならない、と心のどこかで思っていたのだと思います。

そしてもう一つは、私にとって夫の問題は、長い間、酒よりも暴言・暴力だったことです。夫はやさしく気遣いもある人ですが、私に対しては、何かの拍子で突然、豹変してキレるところがありました。私が応戦すると部屋に行って酒を飲み、絡んでくるのです。

夫の責めは執拗で、夜中に叩き起こされて説教をされたり暴力をふるわれるのも珍しくありませんでした。けれども2、3日すると、まるで親に叱られた子どもみたいな顔をして「俺が悪かった」と謝ってくるので、心がほだされることの繰り返しだったのです。

私が何気なくしたことでも、夫は理路整然と私を責めるので、私は自分の感覚を疑い、夫が酒を飲むのも私を責めるのも、私が悪いからだと思ってきました。でも、多分それは違うのです。

依存症とわかったら、対応の仕方が見えてきた

夫は酔いが深まると、執拗に絡んできます。苦しくて、思い切って母に相談すると、母は酒のことより暴力のことを心配しました。断酒会で長年学んできただけあって、「危なくなったら逃げなさい」と言って、すぐに事細かに対応を教えてくれました。飲んでいてもご飯を作るなど最低限必要なことだけはして、もし絡んできたら「ちょっと気晴らしに外に出てくるから」と言って物理的に離れること。それでもおさまらなかったら、実家へ逃げること。夫は自分の飲酒に向き合う必要があるので、夫が仕事を休んでも私が会社に連絡はしないこと……。

私はもともと会社への連絡はしていなかったのですが、念のため家の電話は留守電にして出ないようにしました。状態は変わらず、父の勧めもあって、私は断酒会と家族会に参加することを決めました。断酒会では、「病院へつなげることが第一だが、まずは酒を買うことをやめなさい。飲む・飲まないは本人次第だが、周囲は飲むことを容認しちゃいけない、飲むことに関わるな」とアドバイスされました。

その言葉で、私の中で何かがふっきれたように思います。それまでは夫の酒を止めたくても、かつての母のように酒を取り上げたらもっとひどいことになるとしか考えられず、夫にどうアプローチしたらいいかわかりませんでした。でも、自分の気持ちを伝えればいいということがわかったのです。

「私がお酒を買ってきて用意するのは、私があなたの体を悪くしているのと同じことだから、もうしない。これから先はもう買わないよ」と伝えると、夫は怒ることもなく「わかったよ」と答えました。また酔っているときは何を言って逆効果なので、冷めたときに「あなたのことが心配だよ」と心配している気持ちを伝えるようにしました。機嫌が悪くないときを見計らい、「そこで話すと気が楽になるから自分のために行っているの」と断酒会に通い始めたことも伝え、「一緒に行ってみない?」と断酒会へも誘ってみました。夫が「じゃあ1回行ってみるよ」と言ったのは、1年後です。

ところがその1回で、夫は「やっぱり俺は行かなくていいや」と行くのをやめてしまいました。再び転機が訪れたのは、さらにその半年後。昨年の秋のことです。

有給休暇が残り少ないのに、1週間飲んで私に絡むことが続いた後でした。「もう私は耐え切れないから近くのホテルへ行きます」とメモを残して家を出て、帰宅すると、「俺はどうなっちゃうんだろう?おまえを外に泊まらせるような状態にさせているんだったら、おまえが勧めたカウンセラーのところへ行ってみる」と言ったのです。

その日、夫は帰ってくるなり「いっぱい話したいことがあったからメモを持って行った。泣きたかったけど泣けなかった」と興奮した様子で話してくれました。カウンセラーに「あなたの中にいる小さな男の子に話しかけてあげてください」と言われたことが、何よりも心に響いた、と。夫も育ってきた家庭の中でいろいろな思いを抱えてきた人なので、それが琴線にふれたのだと思います。「もしあなたがアルコール依存症だったら、その子も死んでしまう。それでもいいのですか?と聞かれて、俺はどうでもいいけどあの子だけは殺さないと思った」と言って、専門病院に入院することを決めたのです。

きっと酒をやめて幸せになれると信じる気もち

これで何とかなるかもしれないと思いましたが、夫は退院後すぐに再飲酒し、再び連続飲酒に陥りました。その後、軽い脳梗塞を起こしてからは、飲んでいません。今、5ヵ月が経ちます。

夫は入院中に1回、脳梗塞の後も1回しか断酒会に行っておらず、「俺は命が惜しいから酒をやめる。それ以上とやかく言わないでくれ」と言っています。1人で酒をやめ続けるのは大変なので、断酒会へ行って楽になってもらいたいと思いますが、無理強いはできないので、私も今は酒のことには触れないようにしています。

私はと言えば、この3年でいろいろなことが見えてきて、これまで考えないようにしてきたことや押さえていた感情が溢れだしてきて、少し混乱しています。アルコール依存症家庭で育った私が、アルコール問題のある夫と暮らしてきたのはなぜなのか?なぜ暴言・暴力に29年間も耐えてきたのか?なぜ私は今も夫と一緒にいるのか……。

夫と最初に出会ったとき、私は懐かしい感じがしたのです。やさしさと暴力性という180度違う顔を持つ人で、父とは飲み方もタイプも違ったけれど、この人となら一緒にやっていけるかもしれない、痛みを分かち合うことができるかもしれないと思ったのです。今考えると、あの懐かしさは、問題の中に身を置く緊張感だったように感じます。子どもの頃から緊張の中で生きてきた私は、それ以外の環境に飛び込むのが怖かったのです。

私の人生は何だったんだろう?そう考えると、いろいろな気持ちが込み上げてきて涙が出ます。けれども、それでも夫のことを嫌いになれない自分がいるのも事実なのです。

このままでは自分が壊れそうで、先日、自分のケアのためにあるワークショップに参加しました。その中で自分の子ども時代や夫のことをふり返り、見えてきたことがいくつかあります。その一つが、怒りと悲しみです。

夫が私に対してキレるのは、きっと夫なりに、心の奥に悲しみがあるからなのだろうと思えました。けれどもそれは、私が夫の言いなりにならなければいけないということではない。夫は夫、私は私。私は自分を大切にしながら、生きていきたいと思いました。

そしてもう一つ。アルコール依存症家庭で育ったことは、私の人生に大きな影響を与えたけれど、これからは逆にそれが強味にもなるということ。

かつての父は、酒をやめるなど想像もできない状態でした。でもあの父が断酒会で酒をやめ、別人のように健やかになっているという事実が、私の希望にもなっています。きっと夫もそうなれると感じられる。一筋縄では行かないかもしれないけれど、私には支えてくれる仲間がいるのだから、何か起きたら、そのときにまた考えればいいと思えるのです。とりあえずは、これからも自分のために断酒会と家族会に通い続けます。

介入のカギ
●断酒会員の両親に相談した
●夫に絡まれても応戦せず、酔いが冷めてから心配していることを伝えた
●耐え切れなくなったとき、メモを残して家を出た

※写真は本文とは関係ありません

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