介入のカギ

夫の様子が急変。救急隊員に「お酒が関連した症状でしょう」と言われ、初めて酒が原因だと知った。

Y(妻・49歳・パート)

長かった一夜が明け、精神科クリニックへ行ったものの

この人ついに頭がおかしくなってしまったの……?そう思ったのは6年前のことでした。その日、夫は仕事が休みで、いつものように昼間から酒を飲んでいました。夜7時半くらいに寝たと思ったら、9時頃になって起き出し、トイレの前でぐるぐる回って部屋に戻ったかと思うと、またトイレの前に行くのを何度も繰り返すのです。

「何をやってるの」と声をかけても、夫はうわの空。心配で後を追いかけると、今度は布団に入っては起き上がり、しまいには外に出て行こうとするので慌てて鍵をかけました。もし知らぬ間に出ていたら……と考えると、今もぞっとします。

何が起きたのか、どうしたらいいのかまったくわかりませんでした。「何とかしないと」と思いながら、夫が動かないように抑えることしかできず、子どもたちと相談して救急車を呼んだときには夜中の1時か2時になっていました。

ところが救急車が着いても夫は「俺は病院へは行かない」と言います。救急隊員の人に事情を伝えると、「これは多分、酒に関連した症状でしょう」と言われて驚きました。アルコールの離脱症状だったのです。

結局、救急隊員は「ここから精神科病院へ連れて行くとなると遠いので、明日、奥さんが近くの病院に連れて行った方がいいです、通うのも大変でしょうし」と言って帰ってしまいました。その後は夜通しインターネットで精神科を探しました。朝6時に夫の様子を見ると体が震えていてギョッとしましたが、ほどなくおさまりホッとしました。子どもたちとどうやって夫を病院へ連れて行くか話し合い、目星をつけたクリニックに朝一で電話をし、2軒目で「わかりました。連れてきてください」と言われ……。

行って入院が必要と言われたら、夫が働けなくなったら生活はどうなるのか?正直、不安はありましたが、ここで行かず、夜にまた同じことになったらと考えるとその方が不安でした。よろよろと歩く夫の姿はまるで生きる屍のよう。「しんどいんだよね?だったら病院に行った方がいいんじゃない?悪いけど一緒に精神科へ行って」と伝えてタクシーに押し込み、やっとの思いでクリニックまでたどり着いたときはもうへとへとでした。

それだけに、医師に「酒をやめるのなら、専門病院へ行ってください」と言われたときはショックでした。え?じゃあ何のためにここに来たの?と思ったし、アルコールに関する専門病院というのがあるのも初めて知ったのです。

医師は「今日はこうして家族が来てくれたけど、もし次にこういうことがあったら家族もなくなるよ」と治療を勧めてくれ、夫はうなだれたまま小さくうなずきました。ワーカーさんが専門病院に電話して、予約を入れてくれました。

ところが少しホっとしたのもつかの間、混んでいるため診察は1週間以上も先になるとのこと。「じゃあそれまでどうしたらいいんでしょう?」と聞くと、ワーカーさんは「お酒は飲んだらダメです。ご主人は受け答えはできているし、うつ状態もないようなので、普通に生活できると思います。普通にしていてください」と言います。何日も1人でどう対応すればいいの?と思うと不安で不安でたまりませんでした。

私には仕事もあるし、夫を24時間見張るわけにはいきません。1人で家に置いていくのは怖かったですが、そうせざるを得ませんでした。仕事をしていても、夫がまた酒を飲んでおかしくなっているのではないかと思うと気が気ではない。帰ってきて無事なことを確認しても、私が寝ている間にまたおかしくなったらどうしようと思うとおちおち眠ることもできず、夫のちょっとした気配で起きて、確認する日々でした。

幸いにも精神科でもらった睡眠薬が効いたのか、夫があれほどおかしくなることはありませんでしたが、ほとんど眠れない緊張状態のまま1週間が過ぎました。

ようやく診察の日が来たときは、やっとここまで来たという思いしかありませんでした。
ワーカーさんに経緯を説明し、「この一週間つらかったでしょう」と言われ、初めて涙がぽろぽろこぼれました。ところがそれからも、長い道のりがあったのです。

酒をやめるのは夫なのに、なぜ私が勉強しなきゃいけないの?

専門病院では、「アルコール依存症」という病気があること、夫だけでなく私も「家族会」というのに参加して勉強をする必要があることを聞かされました。それは私にとって二重の驚きでした。アル中は「病気」なの?という驚き。そして、なぜ私まで「勉強」しなければならないのか?という驚き。これ以上、私に何をしろ言うんだろう?と。

夫は酒にだらしなく、暴言や朝帰りや飲酒運転は日常茶飯事。給料も酒代に使いこむこともありました。嘘つきだし、甘えてるし、ほとほと嫌気がさしていました。それでも必死に病院を探し、ようやく病名が判明したのに、まだこの先があるのだと思うと泣きたい気持ちでした。

医師やワーカーさんに通院プログラムを勧められ、「何で俺が行かなあかん」と渋る夫を見ていたら、無性に離婚したくなりました。この人は私や子どもたちの苦労も知らず何を言っているんだろう?何か一言、言わないと気がすまず、家に帰ってから「今度飲んだら家から出て行ってもらうから。2回目はないから!」と伝えましたが、気持ちが収まりませんでした。

夫は何だかんだ言いながらも、仕事をしながら通院を始めました。けれどもそれとは裏腹に、私はどんどんうつ状態になっていきました。

仕事と買い物だけは行かなければと思い外に出るのですが、人と会うのが怖い。酒に問題があるのは私ではなく夫なのに、「アル中=恥ずかしい」という思いもありました。少しだけ気持ちが上向いてきたのは、1ヵ月ちょっと経って病院の家族会に参加するようになってからです。診察に行くたびに「家族会に参加してください」と言われるので、仕方なく出てみたのです。

家族会に出てみたら、みんなが私を励ましてくれました。私の話をいろいろ聞いてくれるだけでなく、私が夫の愚痴を言うと「うちもそーやん!」「うちも同じやで!」と口々に同意してくれるのです。酒にだらしないところも、「俺の稼いだ金で飲んで何が悪い」と怒るところも、みんな同じなのです。

心が軽くなるのがわかりました。そーか、これが病気やねん!と少しずつ思えるようになっていきました。断酒を始めてもすぐに落ち着くわけではないこともわかり、みんなに言われた「最初の1年は大変よ~」という言葉も支えになりました。

夫はよくイライラして当り散らすことがありました。そういうとき、私は夫を責めるか腫れ物に触るような対応しかしていませんでしたが、家族会に通ううち、接し方を変えた方がいいんだということもわかってきました。内心では、なぜこの人にこんなに気を遣わなければいけないんだと思っても、家族会で言われた「何も言わんと口にチャックだよ。そうすれば通り過ぎるから」という言葉を思い出してやってみたのです。

子どもたちも、アルコール依存症という病気を受け入れるのは大変だったと思います。上の子に「私たちが無視したから、お父さんはあんなんになったん?」と聞かれたことがあります。「あなたたちのせいじゃないのよ」と伝えると、そのことは納得しても、断酒でイライラする父親には辟易したようで、「何で私らが我慢しなきゃいけないのか」と言われました。

断酒会の仲間の支えがあって、ここまで来られた

私が断酒会に行くようになったのは、半年目くらいからです。近くで例会があることは知っていましたが、夫は自ら行こうとせず、「おまえが先に行けや、どういうとこか見て来い」と言われると「何で私が行かなあかんの」という気持ちが出てきて二の足を踏んでいたのです。

ところがあるとき病院の家族会に断酒会員の家族が来て、「今度家族例会があるから、よかったら奥さんだけでも1回足を運んでみたら?その方がご主人も来やすいでしょう?」と言われ、思い切って行ってみました。すると病院で知り合ったほかの家族の人たちも来ていただけでなく、みんなが話すことが何から何まで共感できて感激しました。

やっぱり私にはこういう場が必要なんだ……!そう思い、帰るなり夫に「断酒会、すごいところだから行こう!これは私たちに必要だよ」と伝えました。夫は最初「俺はそんなところで話したくない」と渋っていましたが、「話したくなければ『今日も1日断酒でがんばります』って言っておけばいいよ」と励まし、結局、次の例会から夫も参加するようになったのです。

その後、夫はいろいろな行事にも参加するようになり、断酒会に馴染んでいきました。もうすぐ断酒6年目を迎えます。

振り返るとこの6年は、しんどさと楽になることの波を繰り返し、少しずつ浮上してきた感じです。夫が断酒したからといってそれですべてが解決するわけではなく、家族にも家族のプロセスがあるのです。

アルコール依存症と診断され、夫婦で断酒会に通うようになり、生活は一変しました。夫は決まった時間に家に帰ってくるし、毎日ご飯も家で食べるし、この新しい「酒なし生活」にしんどさを感じたこともありました。例会で過去の痛みに触れるのが苦しかったり、これからどうなっていくのか不安を感じたり。

それでも夫にも私にも仲間ができて、支えてもらっていることを感じられ、夫が断酒しているからこその愚痴も言えるようになってから少し楽になったように思います。家族ぐるみでつき合いができる仲間もできて、子どもたちもだいぶ元気を取り戻してきました。何よりも励みになったのは、断酒会で酒をやめ続けている人たちの存在で、「何かあったら言ってきな」という言葉に何度も勇気づけられました。

一歩一歩ではありますが、ちょっと普通っぽい家庭になってきたなと思います。別れたいと思うほど嫌なことはないけれど、夫が機嫌悪そうな顔で帰ってくると「うわぁー、帰ってきた」と思ってしまいます。以前はまた飲むんじゃないかと怖くてケンカもできなかったけれど、今は小さなことで夫に腹を立てることができます。多少のギクシャクはあっても、とりあえず今日もご飯が食べられて眠る場所もある。これも幸せの形の一つなんだと思います。

介入のカギ
●救急隊員が酒の問題を指摘した
●精神科クリニックが専門病院と連絡をとった
●夫より先に断酒会に参加した

※写真は本文とは関係ありません

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