介入のカギ
アルコール依存症という病気だと気づかなかったら、「家庭を顧みないひどい人」で終わっていたかもしれない。
A・S(妻・44歳・主婦)
借金まで作って、なぜお酒を飲むのかわからない!
夫が断酒会に入会して5年。今、私は初めて家族で居ることの幸せを味わっているように思います。夫と子どもたちと一緒に買い物に行って、「今日は何を食べようか」と話し、材料を買って帰る。一緒にご飯を食べて、テレビを見て笑うことができる。あきらめなくてよかったと改めて思います。
夫の酒がひどくなったのは10年前。私が結婚前に貯めた貯金がなくなっていることに気づいたのが始まりです。すべて夫が飲み代に使っていたとわかりました。そんなに酒好きな人ではなかったのに、子どもができてから仕事を理由に外で飲むようになりました。子育てに追われる私を気遣い、よくお土産を買ってきてくれましたが、そのお金も私の貯金から出ていたのだと思うと悔しくてたまりませんでした。
夫が仕事でストレスを抱えていたのは知っていたし、真面目で断われない人です。「体やお金のことが心配。仕事だとしても、外で飲む回数を減らして」と頼むと、「わかった」と答えるのですが、一向に変わりません。休日に朝から飲む状態になっても、「仕事には行けている」「休みの日くらいゆっくり飲ませてくれ」と言われると、それはそうだけど……と割り切れない気持ちが溜まっていきました。
どう考えてもやっぱり異常だと思ったのは、週末に子どもたちを連れてショッピングセンターへ行ったとき、「トイレに行く」と言っては飲んでくるようになったからです。夫は「飲んでいない」と言っても、酔っているのは一目瞭然でした。スーパーの駐車場で車に乗る直前に、くるりと後ろを向いて、ウエストポーチから小さな酒瓶を出して飲んでいるのを見て、背筋が寒くなりました。
それでも私が「飲んでる」と言うと、夫は「飲んでいない」と言い張るのです。しまいには「おまえたちのために働いてストレスを溜めているんだ」「俺の金で飲んでどこが悪い」と開き直り、争いが増えていきました。
この人は、なぜ酒をやめないのか。結婚前はやさしくて頼れる人だと思っていたのに、噓ばかりつく。こんなに家族を省みないのなら、この人はなぜ家庭を持ったのか……。そんな頃、インターネットで「アルコール依存症」という病気があることを知りました。
アルコール依存症は病気なのに、なぜ治療してくれないの?
それまで「アルコール依存症」という言葉は聞いたことはありましたが、それがちゃんとした病気だとは知りませんでした。私の中では、街角で1日中酒を飲んで倒れている人だというイメージしかなかったからです。
けれどもインターネットでいろいろ検索したら、夫の場合とまるで同じで驚きました。どんな仕事をしていても、どんなに地位が高い人でも、依存症になることはある。意志の問題ではなく、酒のためなら噓をつき、何でもするのです。
スクリーニングテストを見つけ、夫に当てはめてみたところ、全て当てはまりました。依存症だと確信すると共に、病気なら治せるんだと希望も感じました。ところが「こういうのを見つけたんだけど」と夫に見せても、「俺は仕事に行けている」と言って仕事の愚痴を言うばかり。飲み代も払わずに泥酔してタクシーで帰ってくるので、家計も火の車になりました。
やがて夫は「仕事をやめたい」と言うようになりました。アルコール依存症でもうつのような症状があると知り、何とか夫を専門病院に連れて行きたいと思いましたが、夫は受けつけませんでした。それどころか方々から借金をしていることがわかり、「何日か1人になりたい」と言って失踪することを繰り返し、ついに仕事にも影響が出始めたのです。
今思うと夫もつらかったのでしょう。普通の精神科クリニックなら行ってもいいと了解しました。けれども1軒目では「お酒の問題があるので専門病院へ行ってください」言われ、2軒目では「お酒を切ってから来てください」と言われ、3軒目ではなんと「お酒もときにはいいもんですよ」と言われ、何の治療もしてくれないのです。
やっとの思いで嫌がる夫を連れ専門病院へ行き、そこでようやくはっきりとアルコール依存症と診断されたときは、ホッとしました。ところがその後で、「でも、本人が酒をやめるつもりがなければ治療はできないんです。どうしますか?」と聞かれ、愕然としました。
夫は当然のように「やめる気はありません」と答え、それでおしまいでした。状態はひどくなる一方で、別の専門病院へ行きましたが、そこでも治療につながらず、「じゃあいったいどうしたらいいんですか!」とケースワーカーに訴えたとき、初めて断酒会のことを教えてもいました。
夫がそんなところへ行くわけがない。家族だけ断酒会に行ってもどうしようもないのでは? と考えました。けれども他にすがるところはなく、会社を休んで泥酔している夫の前で思い切って会長さんに電話をしました。「何年こういう状態ですか?」と聞かれ「5年くらいです」と答えると、「ご主人に代わってください」と言われました。
まさか夫が電話口に出るとは思わなかったのですが、夫は電話に出ただけでなく、会う約束までしているようでした。そして電話を切ると、「助かった。会ってくれる。もう大丈夫だから」と言って、泣き出したのです。同じ体験をした人の言葉は、こうも胸に届くものなのか。これで夫は変われるかもしれない、私たちは助かるかもしれない、そう思いました。ところが現実は、そう簡単には行かなかったのです。
酒をやめただけでは、問題は解決しなかった
夫は断酒会に通ったものの、すぐに「俺はみんなほどひどくないから依存症じゃない」と言うようになりました。飲んだりやめたりを繰り返し、長いときは1~2年、断酒が続いたこともあります。けれどもその代わり、パチンコがひどくなって消費者金融に手を出し、さらには休みの度に酔ったような状態になることが増え、処方薬にも依存していることがわかったのです。
それまで断酒会の人に言われた「失敗も折込み治療だよ。どうにもならなくなったところから始まることもあるから」という言葉を支えにしてきましたが、酒をやめただけでは問題は解決しないと痛感しました。小学生になった子どもたちにも、不安定な夫婦関係の影響が出始めていました。そんなとき、思い出したのが「ご主人はなぜ飲まずにはいられないのかを考えてみましょう」という主治医の言葉でした。
夫は夫なりに、仕事や家庭でいろいろなストレスを抱えながら、頑張っているのだと考えようとしました。一人で悩みを抱え込むタイプなので、何に苦しんでいるのか、夫の話を聞こうとしました。けれどもこのままでは、私ももう限界だと感じました。
夫が断酒会の会長さんや主治医の「ちょっとゆっくり休みましょう。あなたは今まで頑張りすぎたんですよ」という説得を受け入れ、ようやく入院したのは昨年のことです。そのとき、「退院してもこれまでと同じような状態になったら、私はもう結婚生活を続けるのは無理かもしれない」と伝えました。仕事がきついなら、会社にアルコール依存症であることをカミングアウトして、協力してもらってほしい、と。そのくらい腹の座った決断ができたら、夫はこの泥沼から抜け出せるんじゃないかと思ったのです。
夫が了解したので、断酒会の会長さんと2人で社長に話をしに行くと、「そうだったんですか。頼りにしているので、退院するのを待ってますよ」と言ってもらえ、大きな肩の荷が下りた気がしました。退院後、職場復帰した夫のカバンからあるはずのない処方薬がポロリと落ちたときはショックでしたが、夫が正直に「アルコール依存症のくせにという目で見られている気がして、つらくて飲んだ」と話してくれたので、もうちょっとだけがんばってみよう、もうひとふん張りだと思えました。
その後、夫は主治医の勧めで1週間入院し、次第に落ち着きを取り戻していきました。仕事は相変わらず大変なようで、時々つらそうにしていますが、家庭では笑いが増えてきました。今思うと、私があきらめずに頑張ることができたのは、夫はどんなに泥酔していても、子どもたちにつらく当たることがなかったからかもしれません。家庭を顧みない人だと思ったけれど、子どもたちに対する愛情があることは感じられたので、それが一筋の希望になっていたように思います。
今、夫は主治医に「仕事をしたり家族と過ごす中で、起きてくる不安に少しずつ向き合っていくことをしていきましょう」と言われています。何かあるとその言葉を2人で思い出して、「そうだよなぁ」と言い合っています。つらいときは、つらいと言っていい。私もそうしたいから、夫がつらそうなときは、ちょっと休ませてあげるようにしています。
これからも、何があるかわかりません。けれどもし何かあっても、争うのではなくコミュニケーションを大事にして、いろんな人に少しずつ頼りながらやっていけば、何とかなると思える自分がいます。
- 介入のカギ
- ●インターネットでアルコール依存症という病気を知った
- ●断酒会の会長さんとの電話
- ●自分のつらさを率直に伝えた
※写真は本文とは関係ありません